自己肯定感の話
久しぶりに書く。
ふと思ったことを。
友人と話をしていて、「どうしてあの人は、自分と同じくらい自己肯定感低いはずなのに、あんなに頑張れるんだろう」という言葉が出てきた。
この友人、親との関係からか、自己肯定感が低く、自己受容も苦手な現状がある人。
その時に、
「それって比べるの難しくて....」という話になった。
自己肯定感を±100で表したとして、
自己肯定感が高い=+100
自己肯定感が低い=−100
としたら、
自分も、他の誰かも−90くらいで、「なんで同じくらい自己肯定感低いのに、あんなに頑張れるんだろう(私にできないことがこんなにできるんだろう)」という発想は考えてしまう可能性が十分あるよなぁと思った。
とは言え、自己肯定や自己受容って結局のところ、自分の自分に対する捉え方なので、100%主観。
ということは、現状AさんBさんともに自己肯定感−90だとしても、どういう経緯や環境で−90になったのかわからない。ただ本人たちは「自分は−90だなぁ」と思っている。そしてそれを決めているのはご本人たち以外の誰でもない。(だから責任持てよという意味では全くないです。)
例えばAさんは、とんでもない毒親に、虐待やネグレクト、過干渉を受けて自己肯定感−90に至ったかもしれない一方、
Bさんは、親御さんは結構受容してくれつつも、軽く世間体を気にする人で、そこに学校のいざこざとかが重なって、たまたまマイナスな出来事を背負ってしまったのかもしれない。
相手の環境がなんであれ、本人が「−90やわ〜」と思ってたら、自己肯定−90だし、AさんBさんにちょっと似通った問題、課題が出てくるんだと思う。
・そもそもゲームルールが違うから、比べようがないよねという話
何が言いたいかというと、
AさんとBさんで言えば、例えばゲームのnormalモードとvery hard でスコア比べるって無理だよね、という話で、どちらの人生モードでも、結果スコアが−90であることには変わりないけど、そのそのゲームの難易度違うよね。だからできることや程度、悩みもバラッバラになるよね、という。
だから、−90同士だからといって、差があるのは当たり前だし、あまり意味をなさないんじゃないの?という。
比べるのが難しいというか、そもそも比べることが不可能なんだな。でも比べられる気がするから、比べちゃうってことなんだろうな〜と、一人で勝手に納得してました。
・じゃあこんな私はどうするの?
「じゃあ私、very hardだったんだけど、どうしたらいいのさ!!!」というのは個々人の話で、僕としては、
「もう一回、全面的に親のせいか、神様のせいにしておけばいいと思うよ!」という考えをしている。(無責任に感じたらごめんなさい)
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