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"資本論"の入りから学んだ、マネジメントのあり方

このあいだ、『まんがで読破 資本論』と『まんがで読破 資本論(続)』を読んだ。

その中で、「マネジメント業務」「マネジメント」というものに対する理解が深まったのでそれを記しておく。

(このシリーズは、ピンキリだけれど入門書としてはとても良い出来だと思う。今回は特に当たりだと感じた。)


仕事とは

時間や労力を投入して、それを超える価値を生み出すこと。

100投入して、90の成果しか出せなければ赤字。逆に、120の成果を出せば黒字、というわけ。前者は仕事できてない、後者は仕事している、と言える。

この、利益を生み出すもと(体力、時間、道具、技術など)を『資本』と呼ぶ。資本をうまく扱って、プラスを作っていくのが『資本家』の仕事だろうし、別に資本家に限らず、個人にも言えると思う。

怪我や病気になった時に、「体が資本だからね!」なんて励ましたり忠告する言葉があるけれど、

体という『資本』を使って仕事をする

→お給料をもらう

→「体力」や「自分の時間」をお金に変換

→日々の生活

というサイクルは、自分の『資本』の活用をしていると言えると思う。


とにかく、仕事(価値創造と言い換えてもいいかもしれない)とは、投入した『資本』よりも大きな見返りを作ることだと思う。


可変資本と不変資本

資本には2種類ある。

材料費や設備費、機械の維持費など、一定額で購入してから価値を創造するときに、アウトプットされる価値が変動しないものを『不変資本』と呼ぶ。(機械が急に「今日は調子がいいから」と言って1.5倍生産してくれる、なんてことはありえない=一定値=不変)


一方で、人の労働力は『可変資本』となる。人を2人雇えば、働きぶりは変わる。また、時間が経てば経験が重なっていき、その人の技術が伸びるので、やはり働き方は変わる。その日の体調や気分によっても生産量は変わる。繁忙期、閑散期でも、人件費あたりの生産量も変わる。

とにかくその時々で、価値が変わるのが可変資本で、可変資本=人間による労働である。

産業革命後の工業化で、「同一賃金で倍働かせよう!」「子どもにも働かせよう」という流れは、この「可変資本による剰余価値(利益)狙い」だった。(現代でもどこぞの居酒屋チェーンとかでありそうな話ではある。「売り上げヤバいから社員2人から1人にして、労働時間倍にせざるをえない」とか。)


では、マネージャーは何を『資本』として、どういう価値を生み出すのだろうか。

それには『労働』と『仕事』の違いを明確にしておく必要があると思う。


『労働』と『仕事』の違い

最初に、「仕事とは、時間や労力を投入して、それを超える価値を生み出すこと。」と定義したけれど、対して、「労働とは時間や体力という資本を同等かそれ以下の価値のものに交換すること」だと思う。

マネジメント業務というのは、明確に「労働」ではなく「仕事」の面が強いと思う。

もちろん、「ただの現場監督」ならば、それは言われたことをやるだけの「労働」かもしれないけれど、「マネジメント」というのは、今のそのチームが最大限成果を出せるような「仕事」を行うことだと思う。

そうすると、

ヒラの労働者なら、「これをやってください」という基準を満たせば、それが「労働した」と言える。

一方、マネージャーが「仕事」をしたと言えるのは、

チームメンバーの持つ総時間、総体力、現場の総仕事量から、業務をデザインして、「可変資本+不変資本をうまく回して利益を上げること」とも言えると思う。

こうして考えると、マネジメントには

・業務をデザインするところ

・デザインした業務を回す

の2つの側面があることがわかる。

プレイングマネージャー(自分もヒラと同様の仕事担当を持ちながら、マネジメントも行う人)の場合、プレイング(業務を回す)に傾きすぎても、マネージャー(業務デザイン)に傾きすぎても、ダメだと思う。

になってしまい、どちらのパターンも『マネージャーが仕事をしている』とは言えないと思う。

実行や、チームへの浸透を考えると、プレイングマネージャーの説得力はとても強く、効果が高いと思う。

一方で、プレイングの部分が大きくなりすぎて、ただの業務まとめ役になっては、求心力や改善サイクルが見込めないので、これも良くない。

今まで、この2つが一緒くたになっていていたけれど、資本論の触りを知り、資本家とは何か?ということと、経営者との違いは?ということを考えていくうちに、なんとなく要素が見えてきた。


最近の自分の話(IT化)

ここ最近、業務のIT化、自動化に傾倒していて、仕事というか半分趣味として、勉強しながら進めるのがなかなか楽しいのだけれど、完成が近づくにつれて、さっきの2点のうち2つ目の、「デザインした業務を回す」に関して

「IT化したとしてそれを当たり前の日常レベルになるまで浸透させることができるだろうか?」

と考えることがある。ただ同時に、ここで足踏みをしてしまえば、未来はないと思っている。変化を嫌うような旧体質依然とした会社が生き残れるほど最近は甘くないし、ましてや優秀な人が集まるとも思えない。

IT化、機械化に限らず、仕事のやり方を大きく変えるということは、変化に対する抵抗を必ず生むと思うけど、そういう時は田端さんのこのツイートを思い出すようにしている。

『無駄を削らないという怠慢』という形の手抜きもありうると思っているので、常に改善の手は緩めずに行こうと思う。

まとめ

・業務をデザインする

・デザインした業務を回す

この2つのバランスを取っていきながら、チーム全体の労働力(=可変資本)をうまく組み合わせて、より良い仕事やチームを作っていくことが、マネージャーの存在価値になるのだと思う。

資本論とマネジメントでいくと、ちょっと層がずれているような気もするけれど、生かせる部分もあると思うし、資本の基本システムを知った上でマネージャーになることは大きなプラスになりそうに思う。

日々の業務をこなしながらも、現状に対する課題解決策を絶えず提案、実行できるマネージャーになっていこうと思う。

また、

人をどう采配するか、どう仕事をデザインするか。そこから可変資本である人間の労働力を最大限まで活かして、得られる剰余価値を最大化し、また次の仕事のための資本とする。

そういう資本家的な時間の使い方、お金の使い方をしていこうと思った。


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