血迷える子羊、将来を憂う

10代の頃、将来は遠すぎてよくわからなかった。「大学を卒業したらどこかの会社に就職して、数年したら誰かと結婚して会社を辞め、子育てをしながらパートタイムの仕事で老後の資金を貯め、子供が巣立ったら夫婦で穏やかな老後を過ごす」という、ただの幻想でしかなかった将来イメージだけはあったので、薬剤師ならパートタイムですぐに仕事がありそうだからという理由で薬学部に進学を決めた。

深く考えるのが苦手で心の赴くままに道を選んでしまうB型の特性(諸説あり)により、大学卒業後はアカデミアで研究を続けることとなった。研究に明け暮れる日々の中で、20代も後半に差し掛かると、10代にイメージしていたようなものよりも人生は殊更複雑かもしれないとかなり不安になってきて、限られたアカデミアのポジションにあぶれたら、名刺の渡し方すらろくに知らない自分を雇ってくれるような奇特なところはあるのだろうか、と悶々と考えるようになった。

30歳を過ぎようとするころには、研究で食べていけなくなったらどうしようかという強い危機感から、取れる資格を探し始めた。まずはMBAを通信教育で取得できないか一生懸命調べたが、調べれば調べるほどにMBAは研究活動の片手間に手掛けられるほど容易く取れる資格ではないと痛感するに至った。それでは弁理士資格を取れないかと教材を買い込んでもみたが、箪笥の肥やしという名のただの粗大ごみとなってしまった。切羽詰まった気持ちで私は、オーストラリアの永住権資格を取るための試験を受けた。試験に合格してから、オーストラリアに行ったからってその後どうなるというのだろうかと我に返り、これからどうしようかと狼狽えているうちに期限が切れてしまった。

私には薬剤師の資格がある。しかし、30歳過ぎて薬剤師としての勤務経験のない自分が、何年も薬剤師としてのキャリアを積んでこられた方の中に入ることがおこがましいことのように思えた。そこで他の資格を取れないかと考えたわけだが、結局どんな資格も、自分の現時点での業務や、自分が望む将来展望に必要でないなら、取得してもあまり意味はない上に、その道で研鑽を積んでいる方々に対しても非常に失礼なことなのではないかと、散々血迷った挙句にようやく悟ったのである。

私は腹をくくった。まずは目の前に与えられた課題は自分に出来る限り完ぺきにこなそうと思った。誰もが未だ手掛けたことがないような、自分が出来るか出来ないかもわからない課題でも、他に手を挙げる人がいないときは、結果の如何にかかわらずやり切ろうと取り組んだ。少しでも良いから他人の役に立ちそうなことは積極的に手掛けた。結果を出せる人、他人の役に立てる人は、どこにいても使ってもらえるのではないかと考えたからだった。

様々な経験を積むうちに、いつしか、組織と組織、人と人を繋ぐアライアンスマネージャーとして働くようになっていた。私が30代のころにはアライアンスマネージャーという言葉は未だなかったように思うが、AIがどんなに発達してもリモートワークがどんなに広がっても、いやだからこそか、人と人を繋ぐ仕事の重要性は年々増しており、こういった「職種」が出現したのも世の必然だったのだろうと思う。

20年前にはなかった仕事を第一線で手掛ける今、是非、20代、30代の方々、特に、毎日、自分はこれで良いのか、このままで大丈夫なのか、今やっていることは自分に向いているのか、自分の能力は不十分なのではないか、そう悩んでいる方々に伝えたい。

自分の可能性に自分で制限を設けないこと
目の前にある課題には真剣に向き合うこと
他人のために出来ることがあれば精一杯やること
「こうあるべき」や「こうすべき」という言葉で自分自身を縛らないこと

自分の居場所とは実は他人がここにおいでと言ってくれた作ってくれた迎え入れてくれた場所であることも少なくなくないから、時には流れに身を任せてみてはいかがかとも思う。意外と長い人生の中で、誰しもが自分が最もしっくり馴染める居場所を是非見つけられるならと願ってやまない。

鈴木 忍
京都大学大学院医学研究科「医学領域」産学連携推進機構

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