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1980/07/13 黄色い声援がなかったのは、大変さみしかった。

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの感想とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。)

7月13日はまた思いがあふれた長い日記です・・・
ということで、2回に分けて公開します。
ではvol.1からどうぞ。


7月13日(月)晴

暑い日だったが、2連勝して明日に勝ち残った。

まず、対8組戦 暑さには少々まいってしまったが、試合の内容は、ほとんどミスがなく楽勝の感じでgoodな雰囲気で、大変よかった

だが悲しい事に村長やツチバーのチームが試合をしていたので黄色い声援がなかったのは、大変さみしかった。それにしても、彼女たちの試合は見たかったものである。どのような好プレー、珍プレーが出るか期待していたのに・・・。

女子のバスケも負けてしまったそうだが、大津バーたちのチームは1組に苦戦をしたけれどもなんとか勝った。

ソフトボールの試合を見にいって、7組が花形の3塁打、大林のヒットで逆点をしたときに、急に試合が始まるという事になったので、バレーチームだけで裏コートに行った。1セット目の最初の方は、応援が全くなかったけれども、ソフトボールが終わったのか、みんなが裏コートに集まって

黄色い声援が出てからみんな燃え出した。

最初は二軍のメンバーで臨んだため、3–0になったとき、最強のメンバーになったのだが、全然同点にならなくて、大変苦しかった。二浦のサーブ、スパイク、高田が今日好調だったので、スポン スポンと決まって、勝った。

それ以上に苦しかったのは、2セット目であった。6–1ぐらいで負けていたとき、二浦のサーブで同点に追い付き、突き離したのに、また11–11の同点にまでなってしまった。ここで、タイムを取ったのだが正解だった。それから調子にのって勝った。対9組Bチーム戦は、大変苦しい試合だった。


最後までお読みいただき、
ありがとうございます。

今日は、球技大会のかなり苦しい戦いの様子がうかがえました。
7月13日はvol.2に続きます。
どうなるでしょうか・・・

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