6月9日(日)
<今日の礼拝説教「神の教えを口ずさむ人」の中心聖句>
いかに幸いなことか。………主の教えを愛し、
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
詩編 1編1,2節
今朝は少し蒸し暑いように思い、扇風機をつけました。先週の礼拝後には、教会の恒例の「春の大掃除」をして夏に備えました。それから、毎日朝に夕にアマガエルの鳴く声が聞こえているので、「梅雨が近いのかしら」と思っていました。
先週の土曜日の午後、外環沿いの歩道を歩いていますと、道路にトラクターのタイヤの跡を発見しました。「そういえば今年の田植えは遅いな」と思っていました。そこで教会の窓から見えるいつもの水田の場所を目で追って見ますと、なんとすっかり田植えが終わっているではありませんか。今年は教会に近い広い土地は水田ではありませんが、畑にはナスなどの野菜が大きく育っていました。今年も窓から見える稲や野菜の成長を楽しみながら夏の暑さを過ごせそうです。
次週の日曜日は、日本基督教団の行事でこどもの日(花の日)の礼拝と祝福式を行います。一週間遅れとなりますが、お庭の花を持ちより、礼拝のなかで子どもたちの成長をみんなで祈り祝福します。また、ご高齢のみなさんにも「いつまでもお元気に過ごされますように」とお花をプレゼントします。心和むお祝いの主日です。
暑さが増して湿度も上がってきました。今週もお元気にお過ごし下さい。皆様とご家庭の上に主の御祝福が豊かにありますよう祈ります。
6月2日・礼拝説教要約
説教「共に福音にあずかる」 濱田美惠子牧師
コリントの信徒への手紙一 9章19-27節
パウロは、誰に対しても自由な者であるが、一方誰に対しても奴隷になったと言う。ユダヤ人にはユダヤ人のように、弱い人には弱い人のようになって、パウロはすべての人に対してすべての人のようになった。ここにパウロの自由があり、福音がある。
一方キリスト者として神の賞を得るためには節制と訓練が必要であり、自己鍛錬なしには福音にあずかれないと警告を発している。わたしたちは、聖霊降臨によって生まれた教会につながることで、すべての者がこの信仰の戦に加わり共に福音にあずかる者となるのである。パウロは「福音のためならどんなことでもする。それはわたしも共に福音にあずかるためだ」とし、厳しい自己節制をしつつ、すべての人々に愛をもって接していくのである。