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7月17日(日)

招詞
 何よりもまず、神の国と神の義を
 求めなさい。そうすれば、これらのものは
 みな加えて与えられる。
 だから、明日のことまで思い悩むな。
 明日のことは明日自らが思い悩む。
 その日の苦労は、その日だけで十分である。
  マタイによる福音書6章33~34節

涼しい朝でしたが、蝉が早くから鳴いていました。礼拝の時間になったころから日差しも強くまぶしくなってきました。それでもここ数日は、朝晩少ししのぎやすくなって感謝です。

今日は、礼拝での音声録音を忘れてしまいました。それで今週は音声ではなくテキストで説教をお読みください。礼拝の讃美歌の声をお聞かせできなくて残念です。

今日は、いつもの「農家さんのお野菜」の中に、うれしいことに「ブルーベリー」と「スイカ」があったので購入しました。それから、「キュウリ」が大きくてびっくり、これもいただきました。野菜も暑さですぐに成長するようです。今年は夏の暑さに負けないようにと、ニンニクとショウガを入れた「肉みそ」を作り置きして毎日キュウリを食べています。皆さんは夏バテ防止に何か工夫をされていますか?
とにかく無理せず、水分、睡眠、食事が大事なようです。

ケイトウの苗を植えました。

教会の裏庭にケイトウの小さい葉が出ていたので、プランターに植え替えました。自然に発芽してくれて感謝です。もう秋が近いのでしょうか。裏庭に駐車できるように沢山の砂利石を敷き詰めたので、地植えができません。それでも石の間から小さな芽を出す植物の生命力は素晴らしいです。種を蒔かないのに美しい花が咲いています。本当に神さまからいただいた恵みのように思えます。
教会下の水田の稲が大きくなってきました。夕暮れ前に風で稲が波打つ風景はほっとします。今日は風に吹かれてトンボも飛んできていました。

ホームページ訪問ありがとうございます。今週は雨が降ったり暑くなったりのようです。お元気でお過ごしください。なによりもみなさまの体調が守られますようお祈りいたします。

7月10日・礼拝説教要約
「メシアを主と呼ぶダビデ」
マタイによる福音書22章41-45節   濱田美惠子伝道師
 「メシア」とは、ヘブライ語で「油注がれた者」という意味で、特別の王、預言者、祭司について言われる。イスラエルの人々が待ち望んでいる「メシア」は、預言者ナタンによってダビデに預言された「ダビデの国はゆるぎなく、王座はとこしえに堅く据えられる」と言う神の約束によって「メシアはダビデの子」と言われる。ところが主イエスの言う「メシア」は、バプテスマのヨハネに示された「見えないものが見え、歩けないものが歩くという天の国の到来を示す王」である。それはイザヤ書53章に預言されている苦難のしもべであり、主イエスのご生涯そのものである。主イエスは「ダビデは霊を受けて、メシアを主と呼んだ。」と詩編を引用され主イエスご自身こそダビデを越えたメシアであることを示された。

垣根を越えて咲いています。


◇次週の主日礼拝◇
7月24日(日)午前10時15分 
説教『七つのわざわい』濱田美惠子伝道師
マタイによる福音書23章13―36節
讃美歌:29、355、442、394、27
交読:詩編52編1-7節