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20年前に過食嘔吐していたおばちゃんから伝えたいこと 1

あの当時ー20年前ーまだ生まれていなかった子たちが、今過食嘔吐に苦しんでいると聞いて。

あの当時、私がスーパーでドカドカとお弁当やお惣菜をカゴに入れているのを不思議そうに見ていた小さな子ーその子と同じくらいの子たちが、大きくなった今過食嘔吐に苦しんでいると聞いて。

47歳のおばちゃん保育士、いてもたってもいられず書くことにしました。

まずは、必ず治るから大丈夫。今は目の前どう進んでもどん詰まりに見えるから信じられないかもしれないけど、分かれ道って2つ3つどころではなく、あなたの想像を遥かに超えてたくさんある。


過食嘔吐ってさ、楽しいんだよね。
いやほんとに。
何もかも忘れて無心で詰め込んで、しかも吐いてチャラにするから、まさに美味しいとこ取り。
スーッとして、「さて」なんて賢者モードになってさ。
自分を癒してくれる趣味だと思ってた。
摂食障害について知識はあったけど、私のは真似事だと思ってた。「なんちゃって過食嘔吐しちゃってる自分」を客観視しているつもりだったし、いつでも止められると思ってた。
でも見事に飲み込まれてたんだよね。入院までいって初めて「自分、病気だったんだ」と目が覚めた。

病院は特に何の指導もしてくれなかったし、あちこちカウンセラーも頼ったけど、ろくでもなかった。お金ばっかりかかった。

あれから20年。
気づいたら治ってた。もう何年もしていないし、今は老後に向けて健康がなにより大事だから、今後もすることはないと思う。
といっても今渦中にいる人は、そんな老後を気にするおばあちゃんの年齢になるまでのんびり治るのを待ってられないよね。

だから手っ取り早く、この20年の間、私がしてきて「これは効果あったのでは」と思うことを、今からひたすら書いていく。

ちょっと読んでもらえると嬉しいです。

1 とりあえず今すぐこの瞬間から出来ること。過食嘔吐する食材を、健康的なものに変える。

過食嘔吐なんて不健康なことしてるのに今さら健康って何だよって感じだけど、まず過食嘔吐って、「不健康なこと」ではないんだよね。
心の均衡を保つために、全身で必死にもがく行為。
健康な状態に近づきたくて体が努力している証拠。
あなたは自分の体に負担をかける方法で、自分の問題と向き合っている。
つまり食べ物というツールを使って自分と向き合ってる。
過食嘔吐って、今の自分にとって必要だからやっていること。
だから別に自暴自棄になってジャンクフード詰め込んでやるぜヒャッハーしたりせず少しだけ立ち止まって、ツールとしての食材を見直してみるのおすすめです。

たとえば飲み物は健康茶にする。
プーアール茶やルイボスティーとか独特な味がもし苦手でも、減肥茶なら味が麦茶とほぼ同じだから大丈夫。水出しのものにすれば作るのも簡単。

コンビニで、キャベツの千切りやゆで卵を買う。たとえ野菜サラダに高カロリードレッシングをドバドバかけたとしても、菓子パンよりは健康。
ジャンクフードで膨れ上がった胃袋にたった1つの健康食材だとしても、無意味ではない。なぜなら、一時的なことじゃないから。毎食、いや四六時中やってる中での積み重ねだから。後々必ず、その習慣に感謝する時が来る。
今すぐ花が咲かなくても、来年のために種を蒔く感覚で、試してみてね。

2 誰に怒ってるのか、はっきりさせる。

なんかさー。心の底で、誰かへのものすごい怒りを抱えていませんか?
過食嘔吐した後、あなたいつも自己嫌悪でうずくまってるけど、
ぴえーんと悲しみに暮れてるだけの人間じゃないでしょう、本当のあなたは。
心の底に、煮えたぎる怒りがあるのでは?
怒っていいんだよ。
過食症はあなたのせいじゃない。
あいつのせいで!!私は今こんなことになってる!!
と他人への怒りに気付くことって、私は克服の大きなきっかけになった。
なぜなら今の状態を「悔しい、嫌だ」と思えるようになったから。
人って「自分のせい」と思うと「それじゃ仕方ないね」と現状を許してしまいがちだけど、
「他人のせい」「あいつのせいで自分は不利益被ってる」となったら許せなくなるもんなんだよね。
しかも、そいつはのうのうと暮らしてて、かたや私はこんなことになってる。暗い部屋で、背中丸めて吐いて…。なんなんだよ…。
他人に人生潰されてたまるか!!
必ず幸せになってやる!!
そうやって、それまで過食に向かっていた無意識の怒りのパワーが治す方向に向かい、かなり大きな一歩になった。

あなた、誰のせいでこんなことになったの?
怒りのほこ先をちゃんとそいつに向けよう。自分の体ではなく。

3 正解の食べ方を目指さない。

過食嘔吐してる時の「食べ方」って結構凄まじいよね(笑)
絶対に人に知られるわけにはいかない。

基本今すぐ食べたいから、レトルトをお皿に移さないどころか温めもせずそのまま食べたり、料理をすれば、フライパンやお鍋から直接、菜箸やお玉で食べたり。
私なんて食べ散らかしたゴミに囲まれて快感を得るタイプだったから凄かった。

で、そんな日常の中でふと「丁寧な暮らし」系の人を見てしまった時。自分のヤバさが浮き彫りになるよね。
ライフスタイルのカリスマみたいな人たちって、良質のナッツを少量つまんで満足してたりする。洗いたてのランチョンマットに、お気に入りの高級食器、テーブルの上にはキャンドル…
かたや床に座ってレトルトの残骸に囲まれて鍋ごと食べ散らかしてる私。
「なんで私はああいう風にちゃんと生きられないんだろう」と劣等意識を突きつけられたものだったよ。

でも別にああいう食事が本来目指すべきものなのではない。
あれはただそうしたい人らがそうしてるってだけの話。
彼女らは、好きだからランチョンマットを敷き、好きだからキャンドルを灯してる。
そうでない人は、そうしなくていいだけ。
別に丁寧でなくたって生きられる。
丁寧を目指さなくていい。倣わなくていい。憧れなくていい。
大切なのは、自分の心が楽な食事。

今は毎日ただでさえ苦しいのだから、さらに自分を縛りつけなくていい。
本来こうでなきゃいけないのに、なんて思わなくていい。
そのまま、あなたのまま、自分の心が楽になる食べ方ができればそれでいいんだってこと、気づいてほしいな〜。

まだまだいっぱいあるから、また書きに来ます。
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