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同じ市内なのに道路の幅も違えば佇まいもまったく違う中国の大都市のお話

先日、ボス夫婦と一緒にドライブに行きました。普段、遠出は地下鉄なので街の風景など気にならないのですが、その日は車窓からの風景や町並みを楽しむことができました。

そして気になったのが車道の幅、そして緑地の作り方です。どうみてもわたしが住む場所と、様子が違う場所があります。その違いをボスに聞いてみると、街の生い立ちと再開発の速度が関係しているそうです。

わたしの住む場所は市内でも歴史のある場所。歴史があると行っても40年くらいで、それ以前はただの漁港だったそうです。解放改革が宣言されて、日本だけではなく台湾や香港の資本が一気に投入され、作られたのが工場とその工場勤務をする人のための家でした。

それらの家はまだ残っていますが、すでに築年数約40年です。これがまさにわたしの住んでいる昭和の県営住宅のような建物です。またすでに工場などは取り壊されていますが、それらはマンションへ建て変わっています。

しかし、変わらないのが「車道」や「歩道」です。

聞くと、当時は自家用車を所有する人は経営者くらいだったそうです。人々の移動手段は自転車で、車道は狭く、自転車道として使われていました。それで、この当たりは建物が立派なのに、なぜか車道が狭いって状況になったそうです。

今は車社会になってしまったのと、電動自転車が入り交じるカオスな状況になってしまいました。また歴史のある建築物はなく、ただただ古くオンボロな建物と、高層マンションや、なぜかヨーロッパを感じさせるゴージャスな建物が混じる、なんとも言えない田舎くささを感じる街になってしまいました。

それに対して、市の中心の生い立ちは完全に違ってます。わたしの住む場所が工場とその労働者のための街だとするならば、市の中心は金融や貿易が中心です。香港から車で乗り入れる経営者たちも大勢いますし、金融業で働く人はバスではなく車を利用します。

それで、車道も広く、歩道も贅沢に作られており、同じ市内なのに空気感が違います。大きな公園もたくさんあり、とんでもない地価がつけられているわりに、まだまだ空間があるという印象です。

もちろん市の中心にも古い住宅街があったようです。しかし大型都市開発デベロッパーが買い占めを行い、建物ごとの開発ではなく、区域ごとに開発を行った結果、地下鉄の駅を中心に、ショッピングモールと住宅街が効率的に配置された街並みになってます。

こうなると、市の中心から少し外れたところに家を探すのが良さそうだなと思ってたら、ボス夫婦も同じような会話をしていました。

さらに不思議なことに、生い立ちが工場であるわたしのホームタウンは、市の中心の環境が良い場所と同じくらい、場合によってはそれ以上の価格でマンションが売られています。家賃もマジですかっと思うほど強気の価格です。

それについて聞くと、わたしの住む場所は「ブランド」だから仕方ないねと言います。我が街で家賃が高いと言えば〇〇ってことで、そこに私め住んでいるようです。

まぁそうじゃないかなと思ってましたし、今の家もあと6ヶ月でお別れしますので、家賃のことはどうでも良いのですが、このごみごみとした場所に人がひしめき合っている理由が、街の生い立ちだったときいて面白いなぁって思いました。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

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