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相手がいないところでは痛烈なダメ出しをする中国人日本語教師を見て思い出したこと

先日、とある中国人日本語教師の制作物を校正し、改善点を指摘したら無視されていることを書きました。

中国人の特色あるわかりやすい反応ですし、良くあることですので気にすることもないと思ってたりしてたのですが・・・

この数日、メンバーは同じで幾らから方向性の違う言動がありましたので、書いてみようかなって思ってます。お約束ですが、フィクションとしてお楽しみください。

登場人物は、日本語が理解できない教務責任者Mさんと、新人でありながら教材作成を任されたCさん。そしてもう一人の教務責任者Nさんです。Nさんは日本語が話せます。教師としての経験はわかりません。

さて、わたしから日本語の間違いを指摘され、ガン無視を決めているCさんは、Mさんの命令を受けて、これまた新人教師が派遣されているとある高校へ出張中です。

到着するやいなや、Cさんは授業を参観して1229文字にも及ぶレポートを提出してきました。内容は非常に細かく、よくもまぁここまで人の授業に参加して改善できるポイントをリスト化できるなと感心してしまいました。

わたしが彼女のために書いたレポートは、300文字程度であったことを考えると約4倍以上の内容です。内容はというと、自習時間に寝ている学生がいても教師が指摘しないといったことから、おはようございますという挨拶の声が小さいとかそんな感じです。

読んでいて良い気持ちのするものではありませんでした。

またその詳細な悪口を読んでMさんとNさんが素晴らしいと褒め称えているのをみて、これに何の意味があるのかと疑問に思ってしまいました。

昔「OKY」という言葉について note に書いたことがあります。

OKYとは「お前がここに来てやってみろ」の略ですが、是非とも模範的な授業運営って言うのを見せていただきたいモノだと思いました。

クラスの雰囲気が良くないこととか、学生が真面目に授業に取り組まないということのすべてが教員のせいではないと思いますし、30人近く学生がいる場合、5〜6人がまともに授業をうけないということも割合的にはありえます。

そういうことはまったく触れずに、事細かに改善点を指摘できるなんて、どんな思考パターンなんだろうと。もし、そこまで指摘できる能力があるのなら、自分で作った教材を自分でしっかり校正しやがれなんて思っちゃいます。

さて、互いに褒め合う様式美が中国人にはありますが、今回のように「当事者がいない」場合、とことん突き詰めて攻撃するスタイルをとるのも中国っぽいと思います。

以前、読んだ本のなかに中国人の思考に関して興味深いことが書いてありました。

それは、今から50年ほどまえの中国でのことです。当時のリーダーが人民の10%は資本主義の犬だ的なことを言いました。すると困ったことになります。100人の住民のいる村があるとして、そのうち10人はスパイってことになってしまうわけです。

すると、誰がスパイなのかを探さなければなりません。それで、毎晩村人が集まり会議を開きます。参加している人はみな同じような背景をもつ一般人です。スパイなんていないんです。

ですから、幾ら会議しても「俺たちスパイじゃないよね」という結論になります。しかし毎日会議している内に、風邪を引いて参加できない村人などが現れます。すると「会議に参加できないとは、もしかするとスパイなのでは」と会議に参加してた人は結論し、その人を警察に突き出します。

それが10人になるまで続けたそうです。トンデモない世界です。本当かどうか知らんけど。

もしかすると彼らにはそんな思考パターンがあるので、相手がいるところでは肝心なポイントは指摘せず、当たり障りのないことを言って褒める。しかし、いない所ではガチガチに詰めてくるというやり方に違和感を感じないのかなと思ったりもしました。

この note ここまでで約1500文字であることを考えると、1229文字に渡るダメ出しレポートがいかに異常かとご理解頂けると思います。

さて、風邪を引いて肺炎になり、会社を長期で休んでいるわたし。影でどんなことを言われているかなんて考えたくないですが・・・まぁ同僚からは良くは思われていないでしょうね。

でも、嫌われていようがなんだろうが、自分のお仕事が先に進むのであればそれで良しと思うようにしています。友だちや仲間を探しに会社へ行っているわけでもありませんしね。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。