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謝らない中国人同僚。そして、わたしだって時には謝らないってお話

中国人は謝らないって言う人がいます。

そんなことはありません。彼らだって謝ることも謝らないこともあります。ただ判断基準がわたしとは違うだけです。

例えば、先日、会社の事務所でにて起きたことです。Macのバッテリーが心許なかったので引き出しをみると、充電器がありません。どうやら留守中にだれかが部屋に入り持ち去ったようです。

すぐにオフィスの管理者に連絡しました。すると学生から充電器がないかと尋ねられたスタッフが勝手に私の机の引き出しをあけ、そこにあった充電器を学生に貸し、さらに回収するのを忘れていたようです。

わたしの感性から言うと・・・

  • 留守中に人のオフィスに許可なく入る=ギルティ

  • 他人の机を勝手にあさる=ギルティ

  • 他人の充電器を許可なく持ち去る=ギルティ

  • 許可なく人に貸した物品を回収しない=ギルティ

  • そのことを事後報告しない=ギルティ

完全に真っ黒、オール・ギルティです。

引き出しを開けて、モノが移動していただけでも不機嫌になるわたし。さらに私物がなくなっていただけでも我慢できないのに、この有様。

でも、キレてはいけません。ただ「ちょっと、意見を聞かせてくれる?あなたの今回の行いは正しいのでしょうか?(你这样做可以吗?)」と聞きました。

この「这样做可以吗?」という中国語、非常に便利です。

聞いているのは、道理やルールに則って考えたときに、良いのか悪いのか。そのように行動することが一般的に許可されるのか、それとも常識知らずと思われるのかというニュアンスで質問できます。

スタッフの答えは「学生が必要といったから仕方がない」というものでした。

これが中国の特色ある論点ずらしです。

でもキレてはいけません。もう一度丁寧に「あなたの今回の行いは正しいのでしょうか?(你这样做可以吗?)」と聞き直します。すると「充電器がみつからなかった。でもあなたの机にあったので借りた」と言います。

それで、さらに「そのことはわかりました。それで、あなたの今回の行いは正しいのでしょうか?(你这样做可以吗?)」と尋ねます。

しばらく沈黙した後、「不可以(正しくありません)」と答えました。それで、わたしも「そうですよね。では二度と勝手に引き出しを開けないでください。許可なくわたしの部屋のモノを持ち出さないでください」と伝えます。

すると「わかりました」と彼女は答えました。しかし謝罪はありません。

その数日後、次はわたしの部屋から延長コードがなくなりました。それで、前述の担当者に「わたしの部屋に入りましたか?」と聞きました。すると「いいえ」と答えます。それで「おかしいな。誰が入ったのかな?延長コードがなくなってるんだけど」と聞きます。

すると、彼女は思い出したのか・・・「昨日、部屋から持って行きました」と言います。それで「あれはわたしの私物です。先回話し合いましたよね。勝手に部屋に入ってモノを持ち出さないように言ったら、同意しましたよね」と言うと「そうです」と答えます。

そして、小さな声で「すいません」と言います。わたしも「わかりました。延長コードが必要なのですが、持ってきてもらえますか?」と言うと、どこからかわたしのコードを持ってきてくれました。

では、どうして一度目は謝らず、二度目は謝ったのでしょう?

謝らないと不利益になるときは謝る

簡単です。謝らないとマズいことになるからです。

彼女は一度目のミスは大きな問題にならないと判断しました。彼女に自分のミスで、わたしを不愉快にさせたという認識はあったと思います。しかし、そのことをわたしが問題にするとは思ってません。

ですから謝りません。ひたすら事情を説明し、わたしに理解と譲歩を求めたのです。これはわたしの知る限り、ほとんどの中国人の傾向です。謝らず事情を説明したり、嘘をつきます。

最後はこちらが「わかりました」と言わないといけないような雰囲気を作り出します。わたしはこれが嫌いなので、一度目は許しますが、何が問題だったかを明確にした後、二度目はないとはっきりと伝えるようにしています。

そして、二度目が起きたわけです。彼女の危機管理システムは、謝らないと問題が大事になると判断したのでしょう。でも謝ることになれていないので小さな声で「すいません」と言うのがやっとでした。

自分が悪いと思っていても、不利益がなければ謝らない

中国人は自分が悪いときしか謝らないと言う人がいます。でも「悪いと思うとき」に「謝る」のは普通のことです。

日本で交通事故を起こしたときに謝罪しないというテクニックがあるそうです。信号待ちしている車に自分が追突しても謝らない人がいると。謝ると責任の比率が上がるからだそうですが・・・おかしな話しです。そもそも追突した時点で、100%自分が悪いでしょう。

わたしの中国の隣人たち、交通事故時に謝らないというスタイルで乗り切ろうとする人ばかりです。事態がヤバくなると思えば謝る。謝らなくても平気そうなときももちろん謝らない。謝って面子が損なわれたり、問題を抱え込むくらいなら、謝るより喧嘩するほうを選ぶ人すらいます。

わたしは、まずはミスを認める。そして自分のミスで損害を与えたことを関係者に開示して謝罪する。そして対応を考えるのが筋だと思います。でも、彼らはこの手順を踏みません。謝ることに関する基準が違うのでしょう。謝るのは最後の問題解決の手段なのかもしれません。

でもわたしも謝らなくなった。

ただ中国にきて、わたしもあんまり謝らなくなりました。

もちろんミスしたり、自分に責任がある場合にはすぐに謝罪して、できれば許してもらいたいと思います。

しかし、自分の側にミスがないにも関わらず、相手が機嫌を損ねた場合は違います。以前は自分の言動が相手の期待したレベルに達してなかった場合も謝ってました。でも、今はそんなこと気にしません。

今日は、相手の調子や気分が悪かったのかなと思うくらいです。そもそも相手の機嫌を損ねたくらいで謝罪する必要なんかありません。失言や失態があったならお詫びしますが、お前のその態度が気に入らない的な因縁をつけられた時には、神妙な顔をするかもしれませんが、謝りはしません。変な人に時間を使ってしまったことを反省するくらいなもんです。

ただ、こういう態度を取っていると高慢だと思われたり、変な人だと思われたりしかねません。つまり、これまた空気読めない自分の一面に気がついてしまったってわけです。ますます我が祖国の空気にあわせるのが難しくなったような気がして、ちょっと気が滅入ります。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。