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日本語学習の意欲とコストの関係、そして私の趣味の話

わたしのお仕事は日本語教師です。

そして、わたしの担当する学習者さんのほとんどは自発的に日本語を学んでいます。だって、わたしは学校に所属する教員ではなく、外国語スクールに所属する教師だからです。

皆さんは、決して安くない学費を支払い、貴重な時間を割いてわたしの授業を受けています。それでほとんどの人は意欲的です。

非常に高い学費を支払い、一生懸命学ぶ皆さんをみて、自分も丁寧でサービスが行き届いた授業を提供したいという気持ちになります。

一方、比較的安い学費で日本語を学ぼうとする人たちもいます。

それは、グループレッスンに参加する人たちです。

教員をみんなでシェアしますので、一人当たりのコストはかなり安くなります。

もちろんグループレッスンでは、マンツーマン授業ほどの手厚いフォローは受けられません。でもプロの講師から外国語をしっかり学べるというのは魅力でしょう。

ただ、コストが安いことにはデメリットもあります。

コストが安いクラスに参加する人たちのほとんどが、安いという理由で参加しています。ですから、そもそも日本語を学ぼうとする意欲が低い人が集まってきます。

日本語を学びたい、成長したいと思っている人は、学費が高くても挑戦しますし、もし学費が払えないなら自分で参考書を買って勉強したり、ドラマやアニメを見てわからない言葉を調べたりします。

しかし、安いからという理由で始めた人のほとんどは、とりあえず始めたけど、こんなに大変なこととは思わなかったと愚痴を言いだし、努力することを諦めてしまう傾向があります。

わたしは、できれば楽しく面白く日本語を学んでほしいと思うので、笑顔を絶やさず、朗らかに授業に臨むよう心がけていますが、あからさまに面倒くさいという態度を取られると、心が削られるように感じます。

さて、そんな彼らを見ていて自分も何かを始めるにあたり、動機というか理由を正直に考えてみるべきだと思います。

本当にやりたいと思っていることなのか。それとも、コストもさほどでもないとからとりあえずやってみるかと思うのか。

もし、ずっとやってみたかったことが、思ったよりもお値打ちの価格で始められるなら良いのですが、ボンヤリとした状態でお値段の安さだけに引っ張られて決めるのは良くないと思います。

それは、きっと趣味や習い事だけではなくて、買い物をすることや、交友関係を選ぶことなどにも当てはまる原則のようなものなんだろうと思います。

さて、わたしのずっとやってみたかったことって何なのでしょう。

考えてみたら、趣味という趣味はありませんし、際立った個性もなければ才能も感じません。

でも、上手ではなくても心から好きでのめり込めるものが、ひとつでもあるといいなと思っています。もし、そんなものがあれば、へそくりを全部はたいてもいいと思ってます。

今更、自分探しかよと思ったりもしますが、せっかくの人生ですので楽しみたいと思っています。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
皆さんも良い日曜日を!
また明日

ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。