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コインランドリーズ〜らしくない夜〜

0話「コインランドリーズ」
1話「コインランドリーズ〜ホントのはじまり〜」
2話「コインランドリーズ〜となり合う背中〜」

ブウォーン ブウォーン

浩太は劇場でひとり漫談をしている際に響く空調機の嫌な音を思い出した。普段心地の良いこの音がこんなにも不安を煽るように耳に鳴り響くとは思ってもみなかった。

「浩太さんネタ飛んだんですか?」

耳元で囁く龍太郎の声もどこか遠く聞こえる。

鳴叉が用意すると言ったお披露目のステージを明日に控えた二人はいつものコインランドリーでネタ合わせをしていた。
台本ではわからない取るべき間の取り方や龍太郎の早回しで台詞を言ってしまう癖を指摘しながらも順調に漫才を形にしているつもりだった。
たまたま居合わせた鳴叉に今の出来を見てもらおうと龍太郎が提案した時、浩太は「まだ完璧じゃないけどそれでも良ければ」と言ったが本心では鳴叉の笑う姿が想像できていた。
しかし今目の前で座る鳴叉はくすりともせず、むしろつまらなさそうにこっちを見ている。

二人がネタ合わせをしている中でこんな会話があった。

「このネタの後半いわゆる畳み掛けるってやつですか?」
「まぁそうだな、でも単に畳み掛けても笑いは起こらない。少しづつ客席の空気を仕上げていかないと」
「じゃあボクシングと一緒ですね」龍太郎はそう答えるとシュッシュッと言いながらシャドーボクシングを始めた。
「お前ボクシングやってたの?」
「好きなだけです」
「なんだよ」
「ボクシング選手もみんなKO狙ってるけどそう簡単にはいかないんですよ。やからジャブで距離測ったりフェイント入れたりボディを繰り返して相手の足止めて、そんで相手のガードが下がったところにストレートをドーンッ」

説明しながらシャドーボクシングを続けていた龍太郎は疲れ果て椅子に腰掛けると両肘を太ももに置き俯きながら息を整えた。

「ジョーの最後か、まぁそんな感じだ」

浩太がネタを止めたのはまさに畳み掛けの途中だった。
はじめから鳴叉にボディブローが効いていないことはわかっていたがポーカーフェイスなだけで畳み掛けが始まると限界を迎え吹き出すのではないかと僅かな希望にかけながら浩太は漫才をしていた。
まるでギャンブル好きが負け分を取り返すために千円、もう千円と台に吸い込ませていくようにネタの一行一行を鳴叉に吸い込ませていた。
しかし財布にも限界は来る。浩太の中で試合終了のゴングが鳴ったのが畳み掛けの途中だったのだ。

「おわり、じゃないよね?」鳴叉が口を開いた。
「ちゃいますちゃいます僕が台詞間違えたんかな?やから浩太さんちょっと怒ってるだけで、、、」
慌ててその場を繕う龍太郎をよそ目に浩太はゆっくりと歩き出し鳴叉の前に立った。

「あの、面白くなかった?」

鳴叉は上目遣いで浩太の表情を確認しその後身体を少し斜めにして後ろに立つ龍太郎の表情も確認すると腕を組み口を一文字にして「ん゛ー」と唸った。そしてそのまま立ち上がり唸り続けながらコインランドリー内をぐるっと一周すると浩太と龍太郎の間で人差し指を上に向け立ち止まった。

「的確な言葉が見つかった。面白くないじゃなくて、らしくない」
「らしくない」浩太と龍太郎は声を揃えて呟いた。
「とりあえず二人とも座って」鳴叉が上に向けた人差し指を折りたたむと言われるがまま二人は席に着いた

鳴叉劇場の始まりだ。

「あるところに泣き虫の男の子がいました。友達にからかわれた時もお母さんに怒られた時も雷が鳴った時もすぐに泣いてしまう。そんな男の子を見かねてお父さんが言いました『次泣いたらクローゼットに閉じ込めるぞ、クローゼットで泣いても泣き止むまでは絶対に出さないからな』男の子はその言葉が怖くて泣きました。そしてクローゼットに閉じ込められ暗さや狭さの恐怖に泣き続け涙が枯れるまでに太陽が三度も沈みました。クローゼットから出てきた男の子は泣かない強い男の子になっていてお父さんはとても喜びました。一ヶ月後、お母さんが不慮の事故で亡くなりました。お母さんの亡骸の前でお父さんは泣き崩れましたがその隣にいる男の子は泣きませんでした。そんな男の子にお父さんは『お母さんがいなくなったのにどうして泣かないんだ』と怒りました。男の子は「泣かないんじゃない、泣けないんだ」と言い、ただただお母さんを眺め続けました。おしまいっ」

教育テレビのお姉さんのようにわかりやすく物語を語る鳴叉の姿に龍太郎は立ち上がり手を叩いた。
どうもどうもと言わんばかりに鳴叉は下唇を軽く噛み会釈で拍手に応えた。

一方浩太は膝を小さく揺らしながら眉を顰めていた。
ただ自分たちの漫才で鳴叉が笑わなかった理由を知りたいだけなのにどこかの国の御伽噺のような話を聞かされただけだったからだ。
「何が言いたいんだよ!」痺れを切らした浩太が声を上げると鳴叉は浩太の方を振り返り「つまり」と言って話を戻す。

「虎井くんがお父さんで龍太郎くんが男の子に見えた。龍太郎くん、ホントはもっと泣きたいんじゃないの?」


ウィーン


コインランドリーの利用者が店に入ってくると三人は揃って一瞥した後何事も無かったかのような空気を醸し出した。そして利用者が去った後に何を発するかそれぞれ考えていた。

自分がこの話の父親。
つまり自分のしたい漫才を龍太郎に強制して個性を奪っているということなのか。はじめて鳴叉が笑った時、龍太郎は自由気ままにボケて自分は何も考えずツッコミをしていた。確かに今と比べればあの時の方が生き生きとしていた気がするけれどコンビとして漫才を成り立たせるためには仕方のないことだ。もっと練習して龍太郎が慣れれば、、、違う。この行為はクローゼットに閉じ込めることと一緒だ。仮にあの話をハッピーエンドにすることが面白い漫才をするヒントになるのなら父親はどうすれば良かったのか。一つはもっと良い方法で息子の泣き虫を治す。例えば泣いたらおやつを抜きにするとかお小遣いを減らすとかクローゼットに閉じ込め続けるよりは遥かに優しい方法を使って。しかしこれだと母親が亡くなった時に小遣いを減らされたくないから泣かないという守銭奴のような子供に育つ可能性もある。だとしたらもう一つの方法。
泣き虫な息子を受け入れる。
浩太は回るドラム式洗濯機を見つめながらそんなことを考えていた。

自分がもっと泣きたい?
鳴叉さんは一体何を言ってるんやろ。自分は泣きたいわけじゃなく笑わせたいだけ。対比、そうや対比や。笑わせたいを泣きたいに変換してるんや。泣き虫の男の子は笑い上戸な男の子。クローゼットに入ってもずっと笑っててお母さんが死んで笑わんかったから怒られた。つまり、ん?どういうこと?あかんもう諦めよ。とにかく自分は笑わせたいだけって事を伝えよう。
龍太郎は意味もなく左手の親指の爪を右手の親指で撫でながらそんなことを考えていた。

この空間、カラオケで歌っている時に店員が入ってきた雰囲気と似てるなぁ。
ガラスに薄らと写った自分の顔がニヤついていないことを確認しながら鳴叉はそんなことを考えていた。


ウィーン


「ネタなんだけどさ」「泣きたいじゃなくて」「今の雰囲気さ」

利用者が去った事を確認すると三人の声が重なった。それぞれ言葉を飲みこみ三秒ほど視線で発言権の譲り合いを続けた結果譲り受けたのは浩太だった。

「ネタなんだけどさ、もう一回作り直そう」

龍太郎は黒目を上に向け振り子のように左右に動かすと浩太に目を戻し「えぇー」と棒読みで答えた。

龍太郎は覚えることが得意ではない。
学生時代、歴史や英語は嫌いで点数はわかりやすく低かった。
漫才のネタを覚えることも勉強程苦痛ではなかったがそれなりの時間と心の労力を費やしていた。更には浩太から指示される間を覚え、自分の癖を意識するなど一つのネタを仕上げるための苦労をこの数日間で痛感していた。無駄な時間だったとは思わないが龍太郎は数日間の苦労を半ば白紙に戻すと言われているような気でいた。そして同時に一晩で新しいネタを覚えられるわけがないと絶望感に見舞われていた。そんな感情が黒目の動きに合わせて混ざり合い単音の言葉として漏れ出たのだった。

「まるまる作り直しですか?」
「うん」
「お披露目明日ですよ?僕覚えられる気しないんですけど」
「大丈夫」
「大丈夫ちゃいますって」
「考えがある」浩太はそういうと鳴叉に目をやった。

浩太と目が合った鳴叉は少しだけ嫌な予感がしていた。
今の話の流れから自分に視線が飛んできたということは明日の漫才を成功させるために何か頼まれるということだ。龍太郎が言っていた通り一晩で漫才を作り直すのには無理がある。浩太は漫才師として活動していた時期もあるから決して難しくないのかもしれないが龍太郎は別だ。浩太が居ない間もこのコインランドリーで必死に練習している龍太郎の姿を陰ながら見守っていたからこそわかる。
では何を頼まれるのだろうか。
一晩龍太郎の練習に付き合ってくれとでも言われるのだろうか。嫌だ。寝たい。
カンペを用意してADのように捲ってくれとでも言われるのだろうか。嫌だ。だるい。
そもそも明日のお披露目会を延期にしてくれと頭を下げられるのだろうか。嫌だ。観たい。

鳴叉はあからさまに目を逸らした。

「なんか、テーマもらって良いですか?」

鳴叉の逸らした目が一瞬で浩太に戻った。
「テーマ?」
「はい、何でも良いんで漫才のテーマ」
思いも寄らない頼まれごとに鳴叉は胸を撫で下ろした。

「じゃあ、輪廻と終焉」
「何でも良い訂正します。もう少し簡単なやつで」
「なぜ日本人は感情を素直に表現しないのか」
「論文のテーマじゃなくて漫才なんで」
「ユダは本当に裏切りもの、、、」
「もういいです」
「水族館」
「ありがとうございます」

ピーピーピー

浩太は自分の洋服の乾燥が終わった事を確認すると青い大きな袋に洋服を詰めながら話し始めた。
「明日の漫才のテーマは水族館。とりあえず今晩中に思いついたボケを十個俺に送ってきて、文章でも箇条書きでも何でも良いから。俺はそのボケに対してのツッコミとか流れを考えてくる」
「えっと、ネタ合わせは」きょとんとした表情で龍太郎が言った。

「しない、その十個さえ覚えてくれれば何とかする」
これが浩太にとって泣き虫な息子を受け入れる唯一の策だった。
浩太は洋服を詰め終わり袋を肩にかけると出口へ向かって足を進めた。

「浩太さん」不安げな龍太郎の声が店内にそっと響く。

ドアの寸前で立ち止まった浩太は振り返らずガラスに写った龍太郎に「明日は気楽にボケろ」と言ってコインランドリーを去っていった。

取り残された浩太は自分の頬を両手で二度叩くと「水族館、十個、魚、ペンギン、十個、魚、お土産」と念仏を唱えるように呟き店内を早足で歩き始めた。
「じゃっ私は探し物できたから帰るね、明日楽しみにしてる」鳴叉の声は龍太郎の耳に届いていない。


ガサッガサガサ


自宅に帰った鳴叉は部屋の角に置かれたベッドの下にある収納スペースを鼻歌混じりに漁っていた。収納スペースからはこれまで自分がメモしたノート、どこで配られているのかわからないフリーペーパーやチラシ、ケースに入っていないCDなど様々なものがザクザクと溢れ出し鳴叉の周りは強盗に押し入られた後の部屋のように荒れていた。

「みっけ」

鳴叉は収納スペースからクリップでまとめられたB5サイズ、10枚程の紙の束を取り出した。古い物なのか紙は少し黄色く変色し端は折れたり破れたりと決して良い状態とは言えなかった。一枚目の表紙には幼い文字で【わたし】と手書きで書かれたタイトルのようなものがあり隅には同じく幼い文字で【作 なるさ】と書かれている。
紙の束を手にベッドに上がった鳴叉は壁に背を付けあぐらをかくと紙を捲りはじめた。

「へったくそな絵」

捲られた紙には絵本のように色鉛筆で書かれたイラストと崩れた文字が綴られており鳴叉はその文字を人差し指でなぞりながら読み始めた。

「あるところに女の子がいました。女の子は変わり者だとみんなにバカにされていました。だからお父さんが女の子に言いました。もっと普通に女の子らしくなりなさい、、、」

鳴叉はそこで指を止め天井を見上げた。

オレンジの照明に「コーヒー飲みたくなっちゃった」と話しかけるとベッドを降りキッチンへ向かった。

お披露目会を明日に控えた三人は今夜もそれぞれの夜を過ごしていた。

続く

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