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コインランドリーズ

ブウォーン ブウォーン

浩太は椅子に深く腰をかけ生気を吸い取られたような表情でドラム式洗濯機を見つめていた。
田舎から芸人を目指し上京してはや3年。
ネットで知り合ったお笑い好きとコンビを組んだが鳴かず飛ばずですぐに解散。
2人の面白さが混ざりあえば新しいお笑いが生まれるという意味で名付けた「マーブル」というコンビ名も混ざり過ぎてなんともいえない色に染まってしまったのだ。
ピンで活動を続けるも状況は変わらずバイトと劇場を繰り返す日々。
自信のある新作ネタを今日はじめて舞台に上げたが冷房の音だけが響く中オチまでたどり着いてしまった。
人が少ない深夜の時間帯にこのコインランドリーでドラム式洗濯機をぼーっと眺める時間だけが浩太にとって何も考えずにいられる至福の時だった。

ペラッ

ふたつ隣の椅子で鳴叉(なるさ)が文庫本のページを進めた。
鳴叉もこのコインランドリーに居心地の良さを感じる利用者の一人で浩太と話したことは無いがお互いの存在は認識していた。
鳴叉というのは本名ではなく彼女が趣味で小説を投稿する際に使用するペンネーム。
彼女の座右の銘『なんとかなるさ』から生まれたもので本人は結構気に入っている。

ジィジッ ジッ

外の街灯に小さな蛾が吸い寄せられたと同時に1人の男が入ってきた。
大きな袋を肩から抱えた男はコインランドリー内をぐるっと見渡すと浩太の方へ近づいた。
「すんません」
至福の時間に浸っていた浩太は驚きビッと体を震わせると男と目を合わせわかりやすく不機嫌を込めて「はい」と答えた。
「コインランドリーはじめてやから使い方わからんくて」男は浩太の不機嫌を察してか申し訳なさそうに言った。
「使い方ならあそこに書いてますよ」
浩太は洗濯機の上の方を指さすとすぐに男から目を逸らし至福の時間に戻ろうと試みた。
が、男はそんな浩太を引き止めるように話を続けた。
「入った時あの辺りに書いてあるな思ったんですけど字小さくて。でも近づいてまじまじと見てたら『こいつコインランドリーはじめて?』って思われるでしょ?それなんか恥ずかしいでしょ?」
浩太は男の言葉を聞き流した。さっさと使い方を見て洗濯物を入れここから出て行け、この素晴らしい空間でこれ以上余計な音を立てるなと苛立ちを覚えていた。
が、男はまだ続けた。
「わかりますよ?自分でコインランドリーはじめてって言ったから結局バレてるやん!ってのは、でも推測されるのと自分から言うのは心の負担が違うでしょ。童貞ですって言ってから関係持つのと最中に気付かれるのは全然ちゃいますもん」
滝のように言葉が止まらない男に浩太の心は氾濫した。
「洗濯したいだけならさっさとしろよ」
「何でそんな怒ってるんです?もしかして童貞で傷つきました?」
「違ぇよ、バリバリやってるよ」
「バリバリってどんな効果音なんすか、煎餅食いながらヤる癖でもありますの」
「ねぇよ、何で塩分摂取すんだよ」
「まぁ煎餅なくてもこっちが頑張って吹かせればえぇもんね、塩だけに。お後がよろしいようで」
「どこがだ!」

ブウォーン ブウォーン
「ふふっ」

掛け合いの間の中に洗濯機の音と漏れる息が割り込んだ。
浩太が鳴叉の方に目をやると鳴叉は文庫本で口を隠し笑っていた。
「ごめんなさい、聞いてたら面白くなっちゃって」
「あ、すみません」浩太は我に返り謝罪をしながらも不思議な感覚に襲われていた。
自分が舞台の上で求めていた静寂の中から笑いが起こる感覚を今感じることができた気がしたからだ。
男はそんな浩太をニヤニヤと見つめていた。

ピィーピィー

乾燥が終わる音が鳴った。
浩太はため息をつくと洗濯機の方へ行き黙々と洗濯物を取り入れ鳴叉に「ほんとすみません」と一瞥するとコインランドリーを去った。

「やっぱりおもろい」男は浩太の背中を見送りながら言った。
「やっぱり?」男の言葉に鳴叉が反応した。
「あの人マーブルってコンビ組んでた芸人なんですよ」
「芸人さん」
「修学旅行で東京来たときにたまたまマーブルの漫才見てあの人おもしろってなって俺芸人目指そう思ったんです。相方はおもんなかったけど」
「じゃあ洗濯しに来たわけじゃ」
男は抱えていた大きな袋の中身を鳴叉に見せるとそこにはネタで使うであろう小道具や衣装が入っていた。
「この前ここおるの見かけて何回か覗いたんですけどやっと今日会えました。俺、あの人とコンビ組みたいんです」男は真っ直ぐな目で言った。
「相性は良さそうだけどネタ次第じゃないかな」
「え?」
「さっきのは会話のテンポが面白かっただけで下ネタは邪魔だった」
「え、業界の人です?」
「違う違う、ただの素人の意見。趣味で色々書いたりはしてるけど」

ピィーピィー

鳴叉は洗濯物を回収すると「じゃあね」と言いその場を後にした。

音の無いコインランドリーで強く拳を握る一人の男。

数年後、このコインランドリーがファンの間で聖地と呼ばれることを三人はまだ知らない。


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