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【ショートショート】「セリヌンティウスは激怒した」

メロスは激怒した。

という太宰の一文から始まる物語にセリヌンティウスは激怒した。

その事を聞きつけ週間古代の新人記者である佐藤はセリヌンティウスの元へ走った。

佐藤がセリヌンティウスとの待ち合わせ場所である喫茶クリーオスに着いたのは予定時刻より2分過ぎていた。カランというベルの音と共に店内に入り辺りを見渡すと一番奥の角席でセリヌンティウスがクリームソーダを飲んでいる。
佐藤は席に近付き「セリヌンティウスさん」と声をかけ、遅れた事を詫びようとしたが、謝罪の言葉を発する前にセリヌンティウスは言った。

「待つことには慣れているので」

佐藤は笑って良いのかわからぬ。
ジョークにしては笑えないのだ。
その結果、佐藤は愛想笑いをして席についた。
一般的なマナー通りに名刺を渡し早速本題に移ろうとした時、セリヌンティウスが口を開いた。

「一文字違うと意味って変わると思いませんか?」

佐藤には話の意図がわからぬ。
頭の中で必死に返す言葉を探した。
しかしその言葉が見つかる前にセリヌンティウスは続けて口を開いた。

「例えば貴方、佐藤さん、これ一文字違うと伊藤さんになるでしょ?それはもう違う人じゃないですか。それだけ一文字って大事なんですよ」

佐藤はとりあえずゆっくりと首を縦に振った。

「私が怒っているのはメロスは激怒したというこの文の【は】の部分なんです。これだとメロス以外は激怒していなかったみたいじゃないですか。ね?そう思いませんか佐藤さん!」

佐藤はセリヌンティウスの圧にもう動くことはできなかった。

「私たち市民が暴君ディオニスに激怒しないはずがないじゃないですか。メロスのようにディオニスの元へ怒りを抱えて向かったわけではありませんが、それは命を守るためであって当たり前の沈黙なのです。私たち市民も心の中では激怒していました。だから正しくはメロスも激怒したなんです。【は】ではなく【も】が正しいのです」

佐藤は取材用のボイスレコーダーをそっと机に出し一応録音ボタンを押した。

「そもそもメロスは2年ぶりにシラクスにやってきたんですよ?いくら正義感が強いといっても彼の激怒を冒頭に持ってこられるのは市民として反論せざるを得ません。なので希望としては【市民は激怒していた、更に2年ぶりにシラクスにやってきたメロスも激怒した。】ならみんな文句はないでしょう」

佐藤は取材に来た事を後悔した。
セリヌンティウスが思っていたよりも面倒くさい男だったからである。

「それと、まだありますよ」

佐藤の愛想笑いは限界を迎えていた。
ここまま話を聞き続けても大した記事は書けず無駄な時間が過ぎていくだけだと感じていた。
けれども彼の圧を交わす事は容易でなく佐藤の心はセリヌンティウスに磔にされていた。

「確かにメロスの言う通り、彼と僕は竹馬の友です。僕は、いつでも彼を信じた。彼も僕を、欺かなかった。僕たちは、本当に佳い友と友でした。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。それでも何の連絡も無く彼の思い付きで僕を人質にするのは違うと思いませんか?しかも怒りに任せた咄嗟の行動のせいでですよ?」

佐藤の頭はもうからっぽだ。

「あの日の夜の事は忘れませんよ。急に家に兵士が来て、わけもわからず王城に召されて、着いたらメロスがいるんです。何この2年ぶりの再会、もうパニックですよ。それで事情聞いて更にパニックですよ。太宰さんの文には、セリヌンティウスは無言で首肯き、メロスをひしと抱きしめたって綺麗に書かれてますけどね、あの場にいたらもうそうするしかないですって、王城の人達めっちゃ怖いし、それ以上にメロスの目が怖いし」

佐藤は喉が渇いている。急いでここに向かったからだ。
だが、注文するタイミングは無い。

「それですぐに僕捕まるんですよ?初夏、満天の星の下捕まるんです。まぁ、待っている間は別に拷問とかも無かったですし、食事も頂いてたんで良かったですけど、あ、もちろんメロスは戻って来るって信じてましたし。でも太宰さんの文読んだら流石の僕もがっかりしましたよね。だってメロスは確かに必死に走ってましたけど自業自得じゃないですか。村へ向かう彼の走りには拍手ですが、帰りですよ、帰り。ドラマティックに書かれてますけどあれ自分がそこそこ楽しんで寝坊したからあぁなったんでしょ?焦って最終的に犬も蹴ったみたいだし。」

佐藤は隙を見てアイスコーヒーを頼んだ。

「それと弟子のフィロストラトス、あいつも余計な事してますよね。もう駄目とか無駄とか。弟子だったらさ、メロス見つけた瞬間に言うべきはもう少しペースあげて!でしょ。あいつ絶対この機会にうちの石工を乗っ取ろうとしてたんですよ。その証拠にあの後すぐに辞めていきましたもん」

店員がアイスコーヒーを持ってきた。
佐藤はグラスを両手で持ち、一口飲んだ。
ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。
まだ耐えれる。聞こう。

「彼は到着して僕に殴れって言ってきたでしょ。あれね本当は言われなくても殴ってましたよ。そりゃそうでしょ、もう少しで死ぬところだったんですから。でも殴った後に急に罪悪感にかられて僕のことも殴れって言ってしまったんです。それで彼も僕のことを殴ったんですけど、それがめちゃくちゃ痛かったんですよ。え?そこはちょっと力抜くところじゃない?って思ったんですけど思いっきり彼は僕の頬を殴りました」

佐藤は一応真剣に聞いている。
義務遂行のためである。
わが身を殺して、記者の名誉を守るためである。

「太宰さんは、ありがとう、友よ。二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。って書いてくれてますよね。あれもちろん間違いじゃないんですけど皆さんが読んで感じるような綺麗なものじゃないですよ。なんかもう色んな感情がぐちゃっとしちゃって。そんな感情の中で同じ言葉が2人の口から出た時、びっくりして動揺しましたもん。その感動からの抱擁説も否めませんね。しかもその後ディオニスが友達にしてくれって言ってくるんですよ。虫が良過ぎません?まぁ、なんだかんだ仲良くなって先週も飲みに行きましたけどね」

佐藤は話が終わりそうな気配を感じセリヌンティウスの目をまじまじと見つめた。

「ほとんど愚痴みたいになっちゃいましたけど、僕が言いたいのは冒頭は変えるべきだってことです。この事を市民代表として伝えに来たわけです。一文字の大切さをわかって欲しいんです。たった一文字で傷つく人達がいるのです」

佐藤がはじめて口を開いた。

「わかりました。しっかりと記事にさせて頂きます。セリヌンティウスさん、今日はお時間を頂いてありがとうございました。ここの会計は私の方でさせて頂きます」

セリヌンティウスは深く頭を下げ言った。

「こちらこそありがとうございました伊藤さん」

佐藤は激怒した。


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