自分の野球遍歴について ~小学生編~

まえがき

恥の多い野球人生を送ってきました。
とまあ、唐突なオマージュはさておき、私が野球と出会い、札幌で再び草野球を始めるまでの振り返りみたいなものをやってみます。
第1回は小学生編。

4年生、少年野球との出会い

野球を始めたのは小学4年生のときです。
近所に住む年上のお兄さんに、「野球やろうよ」と小学校に入学したての頃から誘われ続けてはいたのですが、生憎私は極度の心配性で臆病者。
家族が皆野球好きで、いつもテレビで野球観戦をし、私もプラスチックのバットを振り回し、ビニールボールをぶん投げて遊んではいたのですが、こと野球チームとなると話は別でした。
未知の世界に飛び込むのは、小学生の私にはいささか高すぎるハードルだったのです。
それから4年近く経ち、ようやっと地元の軟式少年野球チームに入団するのですが、理由は至って簡単。
「いっしょに公園で野球をして遊んでいた友達が次々と入団していったから」。
つまりは取り残されるほうが怖くなっちゃったんですね。
そんなふうに、周りに流されるように始めた少年野球。
同学年の中では2番目に遅い入団でした。

さて、とりあえず入団したはよかったものの、その道は最初から苦難に満ち溢れていました。
競争心や闘争心の欠如した、争いを好まない臆病な性格。
先に入団していた同学年の選手たちとの圧倒的な差。
ほぼ同じタイミングで入団した友達が、最初から上手さの片鱗を見せる姿。
一方で、バットの振り方、ボールの投げ方を基礎中の基礎から教わる自分。
野球の世界は、ひ弱な小学生にとってあまりにも過酷でした。
そんな中でも、武器になるものがふたつありました。
ひとつは「秩序を守る意識」。
小学生、しかも野球をやるような面々は、往々にしてやんちゃで奔放で、ちょっと油断するとすぐ好き勝手し始めるようなタイプが多いですから、指導者陣が常に規律を正すための目を光らせているわけです。
私も勝手がわからない間は、周りにつられて遊んで怒られることも多くありましたが、少なくとも「こういうときはこうする」「これをしてはいけない」と教わったことは、しっかり実践するタイプでした。
……というよりは、ただただ超がつくレベルの「クソ真面目」なだけだったのかもしれませんが。
お陰で後々、同学年メンバーのほぼ全員が遊んでいたせいで練習に遅刻し、コーチからカミナリを落とされた時も、ちゃんと時間通りに来ていたキャプテンと自分だけは逃れることができた……なんてこともありました。
もうひとつは「持久力」。
短距離走は遅いし、筋トレは超絶苦手な私でしたが、いわゆるスタミナだけはありました。
これは、幼児期から野球を始める直前まで習っていた水泳のおかげだと思います。
まあ、水泳も別に得意だったわけではないんですけども。
クロールと背泳ぎの25mタイムが同じとかいう謎の結果を残していましたし。
とはいえ、同級生の中だとスタミナは続くほうだったので、ランニングとか特守とか、そういう持久力がモノを言う練習はあまり苦ではありませんでしたね。
そんなふたつの武器で、なんとかこんとか練習に付いていき、5年生の春を迎えるのです。

5年生、実戦デビュー

シーズンが始まって間もなく、5年生以下のいわゆるBチームによる「新人戦」 の練習試合が組まれました。
その時、私の所属していたチームには5年生以下がちょうど9人しかいなかったため、問答無用で出場することになります。
最初の試合のオーダーは「8番レフト」。
長く付き合うことになる打順と守備位置の始まりでした。
この試合、打撃はまあ案の定ノーヒットに終わるのですが、守備では頭を超えそうなフライをなんとかキャッチする、というシーンがありました。
試合で初めての守備機会です。
このワンプレーが、私が守備好きになったきっかけになりました。

その後の新人戦の試合でも、打撃は低空飛行ながら、守備はしっかりとこなし続けました。
たまにはミスもありましたが……。
そして、もう一つの武器、「バント」を身に付けます。
あまりにも打撃が壊滅的だったため、前にランナーがいた場合、必然的に送りバントのサインが出るケースが増えます。
他の選手たちは、自分がアウトになる送りバントを嫌がっていましたが、私は逆でした。
「バッティングが苦手な自分でも役に立てることはある」
と、ポジティブに捉えたのです。
幸い、バントの素質はあったようで、送りバントを失敗することはほぼありませんでした。
ただまあ、送りバントを成功させて喜んでベンチに戻ってきたら、「送って喜ぶな、打って喜べ!」みたいなことをコーチに言われたこともありましたが。
そんなコーチも、5年生のシーズンが終わった時は、送りバントを地道にこなし続けた自分をちゃんと評価してくれました。
怒ると超怖いけど、その後のフォローも忘れずしてくれるいいコーチでしたね。
今思えば、そのコーチがいたからこそ、その後の野球人生を乗り切れたと言っても過言ではないでしょう。
その点、今でもすごく感謝しています。

そんなわけで、「守備とバントの人」として、無事最初の1年を乗り切りました。
野球を始めて2回目の冬が終わり、いよいよ6年生、少年野球最後のシーズンがやってきます。
……が、これがまた波乱に満ちた年になるのでした。

6年生、地獄から新たな挑戦へ

満を持して背番号「7」を付け、Aチームの正レフトとして迎えた6年生のシーズン。
ですが、他のメンバーが皆「バッティング練習したい!」と言っている中、一人だけ「ノックがいい……」などと考えているような、打てない外野手にとって、そんなに世間は甘くありませんでした。

この頃になると、下級生の数もだいぶ増え、チームは全部で20人弱の構成になっていました。
そうなると当然、高い能力を持ち、上級生を押しのけるレベルにある5年生が出てくるわけです。
そこでポジションを奪われるのは……。
もう説明不要ですね。

6年生になってから入団した同級生と二人、ベンチを温めることが多くなり、たまに代打で出してもらっては凡退する日々。
まあ、自分の立場はわかっていたので、地道に練習は続けていたのですが。
それが功を奏したのか、サードやライトのレギュラーが怪我をしたタイミングで、再び試合に出られるようになります。
与えられたのはライトのポジション。扇形の反対側からの視点は新鮮で違和感がありましたが、ベンチで声出し要員になっているよりはよっぽどマシです。
レフトとは違い、内野ゴロや一塁牽制のカバーなど、細かく気を遣うプレーが多く、最初はやや苦労しました。
そして、最大の差が「ライトゴロ」の存在。
ビヨンドマックスも無い時代ですから、少年野球の外野、特にライトはかなり浅めに守り、ライトゴロを取るシーンはよく見られました(今の時代はどうなんだろう?)。
そのライトゴロ、内野ゴロと違うのは「後ろに誰もいない」こと。
ゴロアウトを取るためにチャージをかけなければいけない、でも逸らしたら誰もいないから最悪失点する、そんなリスクを背負ったプレーですが、私はレフトではできなかった体験に魅力を感じていました。
その頃になると、相変わらず打撃はダメ、筋力も弱いままでしたが、送球フォームがしっかりしたのと、先に述べた水泳で背筋が鍛えられていたおかげか、肩だけはそこそこ強くなっていました。
ライトゴロをしっかり取り、レフトとは違った癖のあるフライにも徐々に対応できるようになり、再び守備の安定性を取り戻します。
ライトオーバーか、という大飛球を2回もぎ取り、エースのノーヒットノーランをサポートした、なんて試合もありましたっけ。
その後、正ライトが怪我から復帰し、私もレフトに戻りましたが、間もなく今後の野球人生を大きく左右する、新たな挑戦が待っていました。

それは夏休み前後のある日のこと。
普段通りノックでレフトに向かおうとしていた私をコーチが呼び止め、一言。

「今日、ショート入れ」

へっ?
最初は耳を疑いました。
ショート?自分が?あの内野の要の?
とはいえ、言われたからにはやるしかありません。
頭の中は混乱しながらも、必死でノックを受けました。
初めての内野は未知との出会いの連続。
ゲッツー練習なんてやったこともありません。
見様見真似でなんとかやっていました。
それからしばらく、ショートの練習をする日々が続き、いよいよその日はやってきました。
「8番ショート」
打順は相変わらずですが、ついに内野手、しかも初戦からショートでの実戦デビューです。
その試合のことは全く覚えていません。
たぶん必死だったんでしょう。
ですが、その後もショート起用は続きました。
一方で、入れ替わりでレフトに移った2番手投手が投げる時は、エースがショートに入り、私がレフトに回ります。
チームで唯一の恒常的な内外野兼任。
これが私の内野手としての、また「ユーティリティとして」のキャリアの始まりでした。

ショートの守備にも徐々に慣れ、夏休みが終わった頃には4-6-3のゲッツーを完成させたのをよく覚えています。
結果、シーズン終了まで正遊撃手のポジションを守り抜き、そのまま少年野球を引退しました。

私がなぜあの時ショートにコンバートされたのか、その理由は未だにわかりません。
センターを守っていた選手が一時期サードに回っていたことがあったので、なぜそっちではなかったのか? という謎はあります。
とはいえ、千載一遇のチャンスをしっかりと掴み、それを離さなかったことは、守備面で大きな自信となりました。

ねくすとすてーじ

野球は続けるつもりでいました。
そして、翌年4月、中学校へ進学します。
野球部に入部した私を、これまたとんでもない環境が待ち受けていたのですが……。
それはまた別のお話。

第2回へ続く。

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