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『文字のフィットネス』番外編 私達夫婦の過ごした3年間の出来事(妊活中の全ての皆様へ)

長く続けていたLINEブログが終了となり、6月末までにnoteに移行しなければいけなかったのを、すっかり忘れてしまっておりました😅

その中で、私達夫婦の3年間の出来事について、妻・Megが書き綴ってくれた投稿が、このまま消去されてしまうのがあまりに惜しく、また、この投稿のみ別の形で保管していたというのもあり、こちらに復活させていただきます。

2017年春から2020年春までの三年間の出来事。

長文になりますが、よろしければ、お目通しください。

同じ悩みを抱える皆様に少しでも寄り添う事ができたら、とても嬉しいです。

以下、本文。

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私事ですが、この約3年間、「妊活」をしていました。

そして、卒業しました。

結果は、残念ながらお目出度い報告にはなりませんでしたが、この体験と今の気持ちを綴る事で自分の気持ちを整理し、同じ体験をしている人や、これから経験するかも知れない人達の気持ちが、少しでも楽になったり勇気が湧いたり励みになればと思い、書く事にしました。

堅苦しくなく私なりの言葉で書いてみる事にします。ご興味のない方は、すみません。

経験するまでは全くの未知の世界でしたし、まさか自分がこのような経験をするとは思ってもみませんでした。

妊娠に対して完全に甘くみていました。

40歳で結婚し、マイホームを作る事から始まり、落ち着いた結婚生活を送れるまで数年を要しました。

私は20年以上フィットネスインストラクターをしています。

「元気」と「健康」がモットーの、ある意味世間知らずのままキャリアだけを積んできました。

「身体を鍛える事は、心身共に鍛える事」

と未だ信じている私も、今年の夏には46度目のバースデーを迎えます。

一般的には妊活を諦める方も多い43歳から妊活を始めました。

私は何事に関しても計画的にすすめるタイプではないのですが、妊娠に対しては重大な事だと過度に慎重になり「計画的になろう」としていた様に思います。それは、実は「臆病」になっていた事の裏返しだったように思います。

その一方で、自分は元気な仕事をしているし、世間一般的な女性より筋肉だってある。気だって若いし大丈夫だろうと「過信」している自分もいました。

「元気があれば何でもできる。」

と本当に思っていました。

家族や周りの人達からは、「Megは結婚もする気がないんだろう」と思われていたくらいに、私は好き勝手に生きてきました。

「さて自分が落ち着いたから子供を作ろう」と思ってできるほど、簡単な事ではありません。という「覚悟」も心のどこかでしていました。

インターネットで高齢出産された方の年齢を調べてみると、45歳や46歳、海外では50代の方もいました。

「奇跡に奇跡が重ならないと妊娠しない年齢である」

という事を知りましたが、自信を失うどころか、どこかで奇跡を信じている自分が強くいました。

まずはタイミング法から始まりました。

妊活には、「タイミング法」→「人工授精」→「体外受精」→「顕微受精」と段階があります。

結論から言うと、全ての段階を経て、最終的には顕微授精を何度も試みましたが、ダメでした。

その間も、一体何が原因で妊娠しないかを調べる為の、あらゆる検査をしました。

結果は、これという確実な原因には辿り着きませんでした。

不妊治療で国からおりる助成金は自治体によって違います。

私が住む市では、42歳まで。丁度私が妊活をスタートさせた年齢までという現実に直面しました。

ご存知の方もおられると思いますが、自費での体外受精や顕微授精、原因を探す検査や毎回の治療費や薬は保険がきかず、全てが自費である為、相当な費用がかかりました。

受精卵ができるも着床しないという、原因があるようでない中、色んな治療をしながら、一体何度チャレンジしたか分かりません。

チャレンジした回数によって諦めるものではないと思っていた為、一度も振り返らずチャレンジしました。

何度チャレンジしたのか、今でも知りません。

体外受精や顕微受精は、決まった時間の薬の服用や注射等で卵巣を刺激し、卵胞を複数作り、オペでそれらを採卵します。

しかし、強い刺激を与えても複数の卵胞が育たない場合もあります。

採卵後は、人工的に受精させた後、上手く受精した受精卵を培養します。

子宮に戻せる良い状態まで分割が進めば、「子宮に戻す = 移植」します。

この移植段階に行くまでに、何関門も潜り抜けなくてはなりません。

強い注射を何度してもなかなか卵胞が育たなかったり、仮に複数採卵ができても、子宮に戻せる状態まで育たない場合などもあります。

幸か不幸か、私の場合、年齢の割には卵胞が取れる方だと言われていたので、なかなか諦めがつかなかったというのも、何度も何度もチャレンジした理由の一つです。

若くても原因という原因がはっきりしないまま妊娠に恵まれない人も沢山います。

未だ妊娠は奇跡でもあり、医療でも計り知れない未知の世界です。

神様のみがコントロールできる領域なのかもしれません。

私達が日常的に食する卵の殻の様に、ヒトの卵子にも殻が存在します。

その殻を破る寸前まで分割が進んだ受精卵を、子宮に何度戻しても受精しなかった為、母体の受け入れ体制を万全にしようと色んな検査をした中の一つに、NK細胞という免疫力に関係のある細胞の強さをを調べる検査がありました。

数年前にあるTV番組で、普段風邪もめったに惹かないという外国人女性が何度体外受精をしても着床(妊娠)に至らない為、NK細胞(免疫力)を調べたところ、免疫が強すぎて受精卵を異物として捉え排除してしまうという原因を突き止めた夫婦の体験談が放送されました。

それを観て、「私もこれだ!」と思いました。

主人が風邪やインフルエンザになっても私は移りもしない。

インフルエンザにはまだ一度もかかった事もなく、風邪も数年ひいていませんでした。

さっそく検査をしました。

その結果、血液中ではなく子宮内の免疫が強い事が分かりました。

「これで解明された!」と期待を抱き、これもまた保険がきかない一回十数万円の免疫を弱める点滴をしました。

体外受精や顕微授精をする度に、行いました。

その他の検査では、子宮内の血が固まりやすいのが原因かもしれないという結果もありました。

一日2回決まった時間に行う「ヘパリン」という自己注射を、移植数日前から判定日まで試しました。

血を固まらせない為の、1日2回数十日続く注射は、私のお腹周りを青あざだらけにしました。

他にも様々な薬やサプリメント、鍼治療や、妊活に良いと言われている加圧トレーニングなど、ありとあらゆる事を試しながら3年という月日が経ちました。

通院生活に決まった時間の自己注射や点鼻薬や膣座薬や飲み薬、予測できない採卵の日や移植の日。

その性質上、フィットネスインストラクターという仕事との両立はなかなか大変なものでした。

結果、仕事面で多くの方々に沢山迷惑をおかけしました。

友人と会う約束もしにくく、やがては、そのような社交的な気力もなくなっていきました。

私が1番得意だった「私らしく居る事」そのものが、本当に難しい3年間であったように思います。

今は、沢山の方にお詫びをしたい気持ちです。

注射や薬の副作用も多少あり、また採卵や移植のオペを繰り返していた為、どうしても思いきり動けない時期もありました。

初めての事でもあったので、無意識な緊張と不安が常にあり、太るしか選択肢がないかのように太ったりもしました。

腹筋ができない時期には、お腹を隠してレッスンをしていた事もあります。なにしろ体を見せて運動指導をする仕事だったので、「体力的」にというより「精神的」に、辛い時期でもありました。

「辛いと思わない」「言わない」と決めていたので、今は素直に「本当は辛かった」と言いたい。

「お金をかけても努力をしてもしても、結果が出ない事が世の中にはある。」

初めての経験でした。

妊活をしながら辛いと思う事は、罰が当たるんじゃないかと思っていました。

「辛いと思う事で授からないんじゃないか…」と思ったりもしました。

結果が出ない度に、暗い穴に突き落とされる様な気持ちになりました。

主人の出番もある為、お互いの協力やサポート、仕事の調整も必要でした。

主人は、仕事と私のサポートと、大変だったと思います。

主人には、心から「共にチャレンジをしてくれてありがとう」と言いたい。

そして、唯でさえ心配性の母にも。

ありがとう。

回数を重ねるも結果が出ない日々。

妊活を理由に不自由さを感じ、ストレスを溜めている自分に気づいた時もありました。

ある日そんな自分がとても嫌になりました。

自分の気持ちが沈んだところで、何も良い事は起こらないと何となく理解はしていました。

「こんな精神状態の私のもとに赤ちゃんは来てくれないだろう」

そう思いました。

その頃から、「妊娠を諦める用意」もしようと思い始めました。

それは「どんな事がストレスになるかを探る事」でもありました。

例えば私ならば、「体を思い切り動かせない事」と同時に「太る事」でした。妊活には適度な運動はした方が良いと言われています。

激しく動いてはいけない最低限の日以外は、加減をせず動こう。

ストレスを溜めない自分に戻る努力をしてみようと思いました。

それは、妊娠を諦めた時に少しでも早く気持ちよく再スタートを切る為に行った事。

それによってストレスが発散できました。

何より「諦める事に対して前向きになれた」ような気がします。

人に元気を与える仕事でありながら、仕事に助けられていた時もありました。

ネットで、同じように妊活をされている方々のコミュニティに参加してみたり、そこで一丁前な事を書いては、実は自分に言い聞かせていたりもしました。

途中病院を変えてもみました。

不妊治療は、長引けば長引くほど、「明るい」「楽しい」というものではなくなります。

それは、常に結果というものが求められる、競技アスリートの世界と共通するのかも。

私は決して、ここで辛かった経験を綴ろうと思った訳ではありません。

この経験を書く事で、これも自分の人生の立派な1ページであったと認めてあげたいのです。

そして、妊活真っ最中の方やこれから経験するかもしれない人達の気持ちが、少しでも楽になったり、この経験を参考にして頂ければ嬉しいな…、と思う次第です。

よく妊活をやめるタイミング、諦めるタイミングが分からないと言われています。

どんなきっかけで、どんな風に受け止めてどんな風に自分自身を復活させるのか。

なかなか大変な「心の作業」です。

ここで1つ、最もお伝えしたい事を書きます。

それは、子供を授からなくても私は幸せだという事。

頑張っている事の結果が出ないのは、悲しく辛い事と感じるけれど、決して不幸ではないという事。

このチャレンジは決して無駄ではなく、私の人生の大事な1ページだという事。

このチャレンジをする前の私より、今の私の方が圧倒的に強いという事。

本当に、圧倒的に。

「命が誕生する」という事が、とても素晴らしい奇跡の中の奇跡であるという事を、自身の身を持って経験し、勉強できたという事。

素晴らしい経験ができたという事。

副作用だストレスだと太った私も、

気合いや根性でどうにかなると頑張っていた私も、

家族にイライラをぶつけた私も、

今こうして妊活を卒業しましたと綴っている私も、全て私。

私の人生の大切な1ページです。

最後に。

いつも優しい主人ですが、この妊活中、主人からの言葉で1番支えられたのは、

「子供ができなくても愛しているよ、今でも十分幸せだよ僕は」

という言葉でした。

「子供ができなくても良いよ」ではなく、

「子供ができなくてもあなたを愛しています。今でも十分僕は幸せだよ。」

妊活中のご夫婦の皆様、奥様に何度も何度も言って上げて下さい。

最後まで読んで下さり

ありがとうございました。

妊活卒業

開放、万歳!!

meg

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この投稿の後、程なくして、世界はコロナ禍に突入します。
そしてその一年後の、2021年6月、長男とも言える、ゴールデンレトリバーのトビーを我が家に迎えました。

金色の被毛の、40kgの、かわいいかわいい天使が、新しい命を授かる事ができなかった我々夫婦を、「お父さん」「お母さん」にしてくれました。

私たち夫婦の物語。


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