通訳になる方法(子供のころからの憧れ通訳になった方法)
①英語を仕事する!と決意
大卒後、絵を描くことに夢中で過ごしました。作品制作、展示活動と、それのみでした。それ以前から、絵をネット等で、公開していたので、多くの方に、個展などでも見ていただき、絵をご購入いただいたり、注文もいただきました。
公募展、美術展にも、応募し、入選し、賞をいただくこともありました。
作品が美術館に展示されたこともありました。公募展に参加し、得票から、選抜展参加作家に選ばれたことも度々でした。そうした眼に見える結果、字列的な成功もうれしいものでしたが、そんなことがなくても、好きな絵を無心に描ける、描いているということが何よりも、幸せで、喜びでした。ある意味、純心、アホ、お花畑の中に生きていたのです。
ですが、絵でご飯を食べることはできませんでした。一方で、仕事は生きるためだけしていました。生活の糧を得るためにやる、好きでもないこと、それが仕事観でした。
ある日、仕事をこのままにしていていいのだろうか?と感じました。今の日本では、60代で、定年し、リタイアなんて暮らしは夢のまた夢です。それならば、年をとっても、働ける専門的な仕事をした方がいいのではないか?と、深刻に考えるようになったのです。
絵は一生かけて描こう!と決意し、そして何か別なことを仕事にして、その道の専門家になろう!考えたのです。
絵以外、何ができるのか?と、考えた時、子供の時から、大好きで、得意なことは、あとは英語しかなかったのです。
そして、絵と並列し子供時代から、英語に常に触れ続けていました。英語を専門に、仕事にしようと考えたことは、ですから、決して飛躍的な思考ルートではなく、極めて、自然な選択でした。
幸い、調べると、英語を理解し、話せたりすることは社会に需要があり、仕事として成立するとわかりました。
子とも時代から、ニュージーランドワーキングホリデーを経て、英語に触れ続けていました。中学、高校、大学と、英語の授業は楽しく、無理せずとも、成績は良かった。学校英語を終えても、ラジオ英会話を楽しんだり、英字新聞を読んだり、BBCドキュメンタリを聞いたり、見たりしていた。海外体験も、多く積み重ねていたため、英語には自信がありました。
②初の英語検定を崩す(TOEIC900点取得)
44歳~46歳、TOEIC900点の取得は2年を費やしました。この間のことはこのブログにも、多くの項を割いて、書いています。
結果発表の日、当時の職場に離職を伝えました。
(2021年6月のことです)
③9か月の転職活動の末、英文事務正規雇用。
体を使う配送、肉体労働から、英語実務職を目指したため、PC知識が全くなく(信じられない話ですが、word,excelの違いすら分かってなかったんです)それでは、事務処理もできないだろう!?と考え、自費で商工会議所のパソコンスクールに3か月通いつつ、転職活動を開始しました。
しかし、未経験中年44歳が応募できる英語実務職求人など、ほとんどなく、夢の通訳の求人は応募すらできませんでした。翻訳求人も同じです。
職安で、国際コミュニケーション・貿易ビジネス科という職業訓練があり、3か月、会計、貿易事務、国際会計、通関、ビズネス英語を学びました。失業保険をもらいつつ、事務関連、英語の勉強を無償でさせてもらえたのです。
そこはモチベーションが高いまじめな方や、英語、海外に思いを持つ方が多く、いい仲間たちと出会いました。頭に描いていた職業訓練のイメージとは全く異なるものでした。
職業訓練を受けつつも、どんどん、貯金は減り、失業保険のカバーも、終わりにつかずいてきました。
つらい現実、侮辱…の面接。
英語で人生を変えたい
英語で人生をよりよくしたい
と、いたって真面目でした。
だからこそ、46歳にもなって、離職し、未経験の英語実務の世界に飛び込んだ。英語で生きる、英語で働く、通訳になろう!と、命がけで決断したんです。面接で、ナイフのような言葉を投げかけられるたび、胸の中は煮えくり返り、一方、みてろよ!と、さらに思いは強固になっていきました。
今でも、この時の悔しさ、情けなさは僕の力ですあそこまでのことを言われても、僕は退かなかった。
僕は子供の頃から大好きだった英語で人生を変えたいから、44歳にもなって、未経験の英語実務に挑むため、命がけで離職したんです。絵で負けて、もうできることは英語しかなかった。仕事にしたいと思えることは、それしかなかった。だから、英語も、転職活動も、必死で、継続したんです。
みたいなことも、言われたこともありました。お金儲けのためなら、英語より簡単で、たやすく稼げる職種が山ほどあります。才能があるんだったら、44歳にもなって、こんな経験してないんです。人生を英語で変えたかった。努力も継続も、生まれつき、才能だよ‥なんて、屁理屈言っている場合じゃなかった。後がなかった。やるしかなかったんです。そして、たまたま、僕は運がよかっただけです。
こうしたことを言われるのも、仕方がないのかな?とも思います・・。僕の英語への思いは身近な人でも「やりすぎじゃない?なんでそこまで英語?」と理解されないほどのものです。ましてや、赤の他人、ただの面接官にわかってもらえるわけがない。でも、そこまでだから、今日、夢をかなえられているのかもしれません。信念を貫き通し、英語で英で人生をよりよくし、幸せに生きているのですから。
英語に関連した求人は限られるので、本気で、英語の仕事に就こうとする人はおそらく、同じ状態になると思います。
46歳、9か月転職活動の末、失業保険が切れる三日前、履歴書を送った商社から面接通知をいただき、数回の面接、適性検査、英語語力の確認を得て、英文事務として正規雇用されました。
(2022年3月のことです。このブログの更新はこのあたりで停止していました。再開したのは2年後の、2024年7月からです)
④英文事務として経験を積みつつ、英検1級合格
商社での仕事は素晴らしかったです。英語処理、輸出入を僕は担当しましたが、それだけでなく、国内営業、一般事務、売り上げ管理、在庫管理、顧客管理、製品の梱包等、多くの実務を習得しました。
上司の方が素晴らしく、僕の英語挑戦、いずれは通訳、翻訳になりたい
ということを理解してくださっていました。
僕の務めた商社は英文事務職が一名、歴代おり、その人が英語処理を一人で、担当します。準1級の所持が必須でした。しかし、英検1級保持者は過去にいませんでした。なので、頑張って、初の社内英文事務、英検1級合格者になろうと、決意しました。1級の対策は、英文事務になる前から、TOEIC900点を崩した後、すでに取り掛かっていました。職場でのモチベーションと、自分の目標が一致したのが英検1級挑戦だったのです。
社内ではお子さんが(高校で団体で英検5、4、3級を受ける)と、話題になっていたため、僕の英検1級挑戦も知られてしまい、応援していただきました。
部長は、一次試験合格、そして、二次試験合格時、ウナギをご馳走してくださり、英検1級取得を昇給に加味してくださいました。英検1級合格は評価され、給与が加増されました。よく、TOEIC、英検は無駄説がありますが、それらがない場合、応募要項の英語ハードルに引っ掛かり、好きな仕事に就けない場合もあります。また、僕がいた商社のこのケースのように、職場によっては昇進、収入に影響します。無駄なわけありません。安心して、TOEICも、英検も、目標として目指すといいと思います。
これらの実務経験に加え、英検1級を崩したことで、翻訳通訳会社の英語ハードル、応募要項はほとんどクリアとなりました。いよいよ、子供の頃からのあこがれ通訳に応募できる段階までこぎつけたのです。(ただし翻訳、通訳求人は実務経験3年以上というものが多いです)片っ端から、応募していきました。
④1級合格直後から、翻訳、通訳求人に片っ端から、応募
そんな中、2023年のゴールデンウィーク中、一社から、面接許可の通知を受け取りました。(翻訳、通訳求人応募25社目でした!)
この上司は人間的にも優れ、この方の下で、英文事務として働けたことは、生涯の素晴らしい思い出です。現在も、僕を信用してくださり、英語案件の仕事をくださいます。感謝しております。
⑤翻訳通訳会社に雇用(2023年6月~現在)
数回の面接、適性検査、英語トライアルを経て、通訳メインとして
その翻訳通訳会社に雇用していただきました。
子供のころからのあこがれの通訳になったとき、48歳になっていました。
現在も、通訳として、翻訳通訳会社に勤務し、多くのものすごい英語達人(ネイティヴ、帰国子女、大学留学経験者、ハーフの方、国際結婚している方、外資系勤務経験者、元FAの方等)の方たちと、働き、僕の英語力の至らなさを思い知る日々です。ですが・・
まとめ・通訳、翻訳は一生の仕事。
心に安定を得て、誇りを感じ、大好きな英語で働いています。
以上が、僕が子供のころからのあこがれの仕事だった通訳、翻訳通訳会社で働くことを実現した経緯、経過、実際、行ったことです。
(ブレイク)
あきらめてはいけません。これだけは強調しておきます。
終わりに
これらの経験①英検1級合格までの対策、学習法、経験②通訳になるまでの面接体験等は、you tube でも、すでにお話しさせていただいております。
そちらの方も、よろしければ、ご覧ください。
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