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新宿へ (愛川町日記 2015年5月20日から転載)

太平洋戦争中、今の内陸工業団地が「相模陸軍飛行場」だった事を知っている愛川町の人は多いと思う。

でも、8月13日に相模飛行場から「陸軍特攻第398神鷲隊」が出撃し、3人(護衛機1機含む)が下田沖で特攻戦死したということは知らないかもしれない。

その神鷲隊特攻隊のひとり・本田続曹長の遺族の方と新宿で。
番組での取材たのを聞いて初めて相模飛行場(愛川町)から自分の祖父が特攻出撃したのを知ったそうだ。
今では彼にとっては愛川町は祖父の最後の地として重要な意味を持つ。
遺書などの貴重な資料を見せていただいた。
遺書は三枚ほどあり、日付はバラバラなんだが、出撃日が近づくにつれ、字が乱れ、挨拶なども省略され、緊迫感が伝わる。

そして、70年という年月を感じた。
神鷲隊は資料が少なく、全容は半分もわかっていない。
これらの資料は7月から愛川町郷土資料館で展示されるので是非見てもらいたい。

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