見出し画像

地域活性化 (愛川町日記 2015年3月23日より転載)

地域活性化。


魔法のような言葉だ。

この言葉には不思議な効力がある。

類似の言葉に「まちおこし」という言葉もある。

お題目、と言ってもいいのだろうか。


例えば。

とあるイベントにこの「魔法の言葉」を取り付けてみる。

すると、そのイベントがあたかもその地域のために公認的に認められたイベントのような錯覚を生み出し、
イベントが思うほどの結果を残せなくても「地域のためだから」というため息交じりの言葉で終わる。


「地域活性化」「まちおこし」。
この言葉は万能であるが、盲目に事柄を見誤ませる言葉でもある。



地域が疲弊しているといわれ始めて「地域活性化」が叫ばれている。

今の言葉に置換すれば「地方創生」とでも言いうのだろうか。

確かにイベントによっては、そこから綿々とつながる「地域活性化」の波を生み出すものもある。

しかし、広く見てみればそういった結果を残しているイベントは数少ないだろう。

「地域活性化」の言葉を必要としている場所は当然疲弊し、予算も限られている。

「地域活性」という言葉に惑わされることなく「そのイベントは必要なのか?」の定期見直しは必要だ。

本当に地域の未来に密接につながるものを選択する。
そして、そこに集中的にまさに地域をあげて力を注ぐ。

「地域活性」というのは育ちの悪い植物であり、長い年月をかけ大きく根を張らせ、常に水を与え続けなければ花は咲かない。

根気よく、浸透させ、少ない効力を効率よく吸い上げ、還元していかなくてはならない。

また、活性化させる「地域」というものを見ていかなくてはならない。

「他の地域で成功したから、自分の地域でも成功する」というロジックは通用しない。

そこに住む人々の年齢層や、地域の持つ文化性、イベントを行う場所、様々なことがある。

その一つ一つがどのような影響を与えるか。

要因によってはイベントの効果を大きく上げるものもあれば、打ち消すものもある。

鉢植えのように他で咲き誇る花をもってきても、土があわなければ根付かないのである。




そろそろ愛川町に目を向けてみる。

つまり地域活性化というお題目を高々と掲げ「アイドルイベント」や「コミケ」的な若者向けのものを開催しても効果は少ない。

そういった文化を蒸留している土地はすでにあり、交通や開催場所の不便さを抱える愛川町では来場の見込みも少ないだろう。

幸い今の愛川町には場違いな「地域活性化」はないと思うがいかがだろう。

それよりも、愛川町の自然を利用した「ウォーキング」や「歴史講座」など年齢層をあげて考えていくといいかもしれない。


そもそも。
地域活性化、とはなんであろうか。


イベントなどで一過性に人が訪れることが「地域の活性化」だろうか?

私は、その地域の体力が増えることが「地域の活性化」だと考える。

愛川町には人々が大きくお金を落とす場所や目的が見つけにくい。

ならば、少しづつでもいいから長く人々が訪れ、お金を落としていく方法が良い。


「農業体験」はいかがだろうか。

愛川町も高齢化し、管理ができない田畑も増えてくるだろう。

そういう田畑を開放し、貸し出す。

農業とは一度やればいいというものではなく、たびたび愛川町に来る必要ができる。

農業移住者への受け入れもする。

一過性のイベントが必要ならば農業イベントを開催すればいい。

ひとの流れできる。


地域活性化とは多額のお金をかければいいというものでもない。

今ある資源を有効的に使うことが大切なのだ



「地域活性化」



魔法のような言葉だ。

あくまでもここに書き残すのは私の思念であり、地域活性かという言葉には答えはない。

当然、一つの道ではなく様々な道が合わさってのことであろう。

悪路もあれば、間違った道もあり

そして、目的地への近道はない。


この言葉の持つ力も考えなくてはならない。


「地域活性化」を軽々しく唱えるのではなく
実態を(手法)をとらえていくことが大切なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?