なぜ日本の物価は安いのか【#住んでみた北欧】
北欧に着いたばかりの時に受けた「物価高の洗礼」は強烈だった。体感で日本の2倍。覚悟はしていたけど、こんなんでやっていけるのか??と心配したものだった。しかし時間が経つにつれ、その不安はだいぶ和らいだ。最初の1週間は旅行で外食ばかりということもあり、滞在が始まってスーパーで食材を買って自炊するようになってからはそこまで感じなくなった。安くて美味しいものがわかるようになってきたし、テイクアウトのチャーハンを3分割にして冷凍したりなど、知恵もついてきた。外食はほとんどしない。
ところが滞在も終盤になって、仲間が続々とやってきて外食するようになってからは再び物価高を実感することになる。
たとえば、ヘルシンキの海辺のカフェ(セルフサービス)で食べたハンバーガーセットとグラスワイン。ハンバーガーは極めて普通、白ワイン(リースリング)は写真の通りの量なのだが、日本円に計算してみてのけぞった。5,250円。日本なら立派なディナーが食べられる。
高福祉国家で人権意識が極めて高い北欧では、生活水準も税金(フィンランドの消費税は24%)も労働コストも高いのでこうなるらしい。
さらに滞在中にユーロ高が加速していて、4月の時点では1ユーロ140円台だったのが、帰るときには150円台後半、クレジットカードの請求を見るとほぼ160円になっていた。下図のようにユーロはきれいな右肩上がり。
ChatGPTに聞いてみると
日本の物価は北欧の2分の1、ものによっては3分の1だ。なぜ北欧が物価が高いかより、なぜ日本がこんなに安いか、そっちのほうが気になる。この違いはいったいどこから来るのか。
ChatGPTに聞いてみるとこんな答えが返ってきた。
1のデフレに関しては、「失われた30年」とさんざん言われている通りで想定内なのだが、北欧に滞在してみて感じるのは3の小売業の価格競争と、それにも関連する、4の企業努力による価格の抑制である。
広告だらけの日本
帰国してまず最初に感じたのが、「なんで日本ってこんなに広告やプロモーションだらけなんだろう」ということだった。象徴するのが駅や電車の広告。フィンランドの地下鉄は、駅も車内も、広告はデジタルサイネージのみですっきり。
一方で日本の電車では中吊りだけでなくありとあらゆる場所に広告が貼ってある。見慣れた風景でこれまで何も感じなかったけれど、帰国したばかりで北欧の風景に慣れている目には、なにもドアのガラスにまで貼らなくていいだろうと思ってしまう。
フィンランドの人口550万人に対して日本は1億2000万人もいて、東京だけでスウェーデン以上の人がいる。企業の数も多く、競争が激化している結果がこれなのだろう。そして企業努力によってコストを抑え、価格も抑える。原料コストがこれだけ上がっても値上げは最終手段であり、価格据え置きで量を減らす「実質値上げ」策に出ている商品も多い。
そういった企業努力の末に「安い日本」が保たれていく。給料が上がらない中、税負担だけが増えるこの状況では、物価の安さは消費者としてはありがたい話だが、これでは海外との価格差は開くばかりではないか。
かくして「安い日本」を目指してインバウンドが押し寄せ、観光公害がもうすでに深刻化している。美味しいのに安い、高いサービスなのに安い日本を享受して、みな本国に帰っていく。いやいや、もっと高くとろうよ。素人考えだが、宿泊施設で採用しているダイナミックプライシングをサービスや商品にも適用することはできないのだろうか。あるいは外国人価格を採用するとか。
北欧の物価高が痛かったのは、お財布だけではない。バブル世代で、日本が経済的に絶好調だった「あの頃」を経験しているだけに、あからさまな日本の凋落を肌で感じてしまい、そのほうがよほど痛かった。惨めな気持ちだった。
歴史は栄枯盛衰の繰り返しだとすると、いま明らかに日本は「衰」にいる。再び「盛」のフェーズに来るのだろうか。ギリシャのように、かつて隆盛を誇り、復活できなかった国もある。日本はそうではない、特別な国だと信じたい。
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