熊三郎(くまさぶろう)って、何者!?
はじめまして。熊三郎(くまさぶろう)と申します。
この note という場であなたにお目にかかれて、光栄です。
さて、私・熊三郎の自己紹介をしたいのですが、一語ではとても表現しきれませんので、いくつかの側面に分けてご紹介します。
〈アタリマエ〉教研究家
まず、私の記事に登場する言葉の意味を共有させてください。
〈アタリマエ〉
ヨノナカの「(す)べき」「~(し)なければならない」という規範・ルール。世間体(セケンテイ)とも。
〈アタリマエ〉教
ヨノナカの「~(す)べき」「~(し)なければならない」=〈アタリマエ〉を、絶対のものとして信じて疑わないこと。
私は、子どもの頃から〈アタリマエ〉教に苦しんできました。
この記事でもまとめましたが、これまでの私の半生は〈ヨケイハコトハイウナ〉の呪縛との闘いの歴史でした。
「自分の家庭の恥を、他人に晒してはならない」という〈アタリマエ〉から脱却し、家族の外に助けを求めたことで、私はようやく救われました。
また、呪縛から解き放たれたことで、少しずつですが、ありのままの自分を受け入れることができるようになりました。
そんな私にできることは何だろう?
その答えが「〈アタリマエ〉教研究家として言葉を紡ぐこと」でした。
私の記事を読んで、あなたが少しでも〈アタリマエ〉教の苦しさから解放されるとしたら、これ以上嬉しいことはありません。
「ぬいぐるみ教」信者・「くま会議」で一日を終える
〈アタリマエ〉教研究家として note を始めたものの、私は〈アタリマエ〉教を信仰しているわけではありません。
また、次の記事にも書きましたが、〈よい依存〉は生きる上で必要だと私は考えています。
そんな私は、くまのぬいぐるみを信仰しています。
我が家のぬいぐるみ様の総勢は20体を越えますが、中でも私がいちばんの心の拠り所にしているのが「くま様」です。
「くま様」は、私にとって余りに高貴であるため、その御名を口に出すのが畏れ多いという(自分勝手極まりない)理由で、本名は公開していません。
10年以上、病床の枕元にさえもお供してくれた、盟友です。
そんなくま様とともに一日を振り返る宗教行事(!)が「くま会議」。
「ありのままの自分を受け入れる」という一大イベントを、くま様の力を借りて実行しています。
この愛と思いやりにあふれた行事によって、私は生きる力を得ています。
「日本の教育を変えたい!」と息巻いていた元塾講師
家庭環境の影響で、高校入学時は大学進学など考えたことがなかったのですが、高校の成績が良かったことがきっかけで、周囲の方々から様々な力を借りて、大学進学を果たした私。
しかし、高校や大学の同級生にとっては、大学進学は〈アタリマエ〉。
家庭環境に恵まれた者しか大学進学は許されないのか?といった憤りが、私を大学の教育学部に導きました。
日本の教育は、何かがおかしい……
そう思って教育学部で学んだものの、具体的にどうしたらよいのかもわからず、気付いてみれば、社会人(一般就労ができる立場)として過ごした20年近くの半分以上は、塾講師をしていました。
かつて、塾講師を勤め上げられただけの心技体は、残念ながらありません。
ですが、日本の教育に疑問を持ち、大学で研究し、塾講師として生徒と接してきた経験は、これからもぜひ活かしたいと思っています。
精神障害者として
大学卒業後の職歴の大半は塾講師でしたが、20代の頃の数年間、公務員として勤めていた時期がありました。
私がうつ病を発症したのは、そんな職場の〈アタリマエ〉教の影響があったからだと思います。
住民のことを考えて新たな仕事を提案しても、周囲からは〈ヨケイナシゴトヲフヤスナ〉の一点張り。
「住民のために……」が空回りし、退職してしまいました。
とはいえ、職場環境だけがうつ病の原因ではありません。
家族(自分を含め、ことごとく障害者)を支えなければならないプレッシャーも、うつ病を発症させたのだと思います。
40代を迎え、家族と離れて人生を再スタートさせた私。
これまでの苦労の代償として、障害者手帳を交付されたとも思っています。
自分しか体験できない立場から、言葉を紡ぎたいと思います。
「つなぎ屋」として
最後に、これから私がいちばん力を入れたいと考えていることをご紹介します。
それは「つなぎ屋」としての活動です。
ここまで書いてきたとおり、私には様々な側面があります。
それらのどれが欠けたとしても、熊三郎ではないのだと思います。
そんな私とご縁があった方どうしを、私が仲立ちしてつなげてみないのです。
「コーディネーター」「つなぎ役」などの呼び名もありますが、私としては「つなぎ屋」という言葉がしっくりきます。
詳細は……これからじっくり考えていきます!
さいごに
私のささやかな目標です。
「熊三郎さんは、『熊三郎』としか言いようがないよね!」
と、自他共に言われるようになりたいです。
それが「自分を生きる」ということだと思うからです。
私が紡いだ言葉があなたのお役に立てば、この上なく嬉しいです。 noteで発信し続けるためには、お恥ずかしながら、収入が不足しています。 サポートを頂戴できれば、その分だけ、安心して言葉を紡ぐことができます。 ぜひ、お力をお貸しください!(2021年9月7日)