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6月の新月の日に「予想もできなかった2020年上半期」を書いてから約5か月。来月には2020年が終了、いやあ早い。自粛とロックダウンしてるうちに1年が終わる。世界の中で2020年が例年どおりだった人っているのかな。いないだろう。

さて本日11月14日、私達は引き続きピエモンテの田舎家にいます、そして第2回目のロックダウンはここでひっそり過ごしています。たまたまロックダウンが始まる週末にこちらに来ていてそのまま居残りました。確信犯か?はい、そうかも。6月から10月はマックス2週間単位で都会と田舎を行ったり来たりしていたのだけど、レベル別ロックダウンになった今は州を越えての行き来はできなくなりました。つまり都会には解除されるまで帰れません。

今年の夏から秋は楽しかった。ブドウ畑でドロドロになりながら収穫を手伝ったり、アグリツーリズモのご夫妻と山歩きや丘歩き、道に生える美味しい食べれる草を教えてもらったり、彼らの飼っている動物たちと交流したり、生パスタやケーキを一緒に作ったり、ミラノから友人も訪ねてきてくれた。最低限の物しかない田舎家では、なんでも捨てずに取っておこうとか、ない物は作るとか、すぐに買いに行けないから物を無駄にしないとか、太陽発電だからお湯は節約するとか、ガスもプロパンだからちゃんと気にして使うとか、便利に慣れてすっかり忘れていた基本的な事を思い出した。自然はいつも優しくて、木の葉が揺れる様子や、空に羊雲がぽっぽっと並んでいる様子や、いきなり空を真っ赤に染める夕日や、興梠の声、道ばたの美しき花や実を見つけるとドキドキした。

そして霧の秋がやってきた。家ごとすっぽりと霧に包まれる。7時ごろ薄明りに目を凝らしても外の様子は全く分からない。真っ白な霧が見えるだけ。ある朝、しっかり防寒して外に出てみた。見えたのは、霧の海の中に浮かぶ島。だと思ったのは谷底の丘なのだった。きりっと張り詰めた空気の中で真っ白な霧が左右に長く揺れながら動く様子は海そのもので、その海の上に丘や丘の上の家や、ブドウ畑が、現れたり消えたりする。幻想的な景色にしばし見惚れた。

私と夫はこの数か月でピエモンテ州アルタランガの自然と静寂に心から魅せられた。そしてその気持ちを感じれたのはアグリツーリズモLa luna buonaの存在が大きい。ここのオーナー家族との交流が私達をここに引き留めた一番の幸運だと思っている。この土地出身のオリビアとカラーブリア出身のジョズエ夫妻についてのエピソードは話せば切りがないほどあるのだが、その話は追々していきたい。

ここで生活していくうちに夢ができた。このアグリツーリズモの近くで家を探して、日本とイタリアを結ぶ現地交流を軸とした滞在型コミュニティを作りたい。その場は異文化交流の場であり、余暇を過ごす場所であり、想像力を広げる場所であり、各々が自由に好きな事が出来る場所にする、自由になんでもできる場所。観光、旅行を超えてその場にいる事を体験しにくる場所。

私はかれこれ20年ほどもツーリズモにかかわっているが、サービスを提供する側、される側、支払う側、受け取る側を超えた場所を作りたいとずっと思っていた。どちらの意志も尊重され、誰も無理をしない関わりと交流によって幸せが循環するような場所。ちょっとしんどいなと思った人が気軽に立ち寄れる場所、そこに行けば私達がいると思ってもらえるような場所、イタリアに親戚がいると思ってもらえるような場所、その場所があるから日常生活が楽しめたり、楽になるような場所。世界の中に自分のもう一つの場所があると思ってもらえる場所。

これからの旅は地域に密着した旅になるのではないか。新しい場所に次々行ったり、何個世界遺産を廻るかとではなく、昨年見た木に実ができたか見に行くとか、知り合った誰々にもう一度会いに行くとか、あのアグリツーリズモの美味しすぎるご飯がもう一回食べたいとか、あの庭でもう一度昼寝したいとか、そんな風に何度帰ってもその度楽しくて、時間が経てば経つほどその場所が愛おしくなるような場所になったら最高、旅行というより訪問という言葉の方がしっくりくるかもしれない。個人と個人との繋がりがより大切になってくる。そしてその場所は、ミドルエイジに差しかかった私達のコミュニティでもあって、この地域の地場を生かして仲間と助けてあって生きていく新しい形の老人コミュティにもなっていく。これはアグリツーリズモの夫妻といつも話していることで、楽しく歳をとる、助け合って生活するという事がこれからの時代に一番重要じゃないかと。そういう場所と旅人の訪問を組み合わせる事が出来れば最高じゃないかと思う。

家を変えるお金も充分ではなかったり、簡単に良い物件が見つかりもしないので、まだまだまだまだの話だけれど、考えるだけでわくわくするから、この直観は絶対に間違っていないのだと信じてる。旅行業界での仕事で好きな仕事なのにモヤモヤすることがある原因のひとつは、お客様との関係が与える側と受ける側で上下関係がびしっと出来る事だと思う。その関係性だとお互いの良かれと思った事が伝わらなかったり、過度に期待や心配、遠慮や常識が邪魔をして信頼関係を気づくのが難しい。個人的に、お金払ったんだからサービスしてよ、お客様は神様ですという関係性はもう古いと思う。

半田舎生活を開始した6月にもう一つ開始した事があって。それはイタリア語の言い回しのアカウント @kumitalia これをやりだした途端に、自分がどれだけ語学が好きでイタリア語が好きなのかを思い出した。書くことが楽しみで、疑問や分からない事を調べるのが面白く、書きたいと思うものがどんどん思い浮かぶ。実は頭の中で何年もストックされていたのだと思う。徐々にアカウント上でイタリア好きなフォロワーさんと交流できるようになり、やり取りすることが心から楽しい。私は、イタリアが好きでイタリア語を勉強して、今ここにいるんだという当たり前の事実を再認識している。そう感じれてとても幸せ。一生懸命やったことの記憶の糸は手繰り寄せれば寄せるほど戻ってきて、もしかしたらこの情報が役に立つと思ってくれる人がいるかもしれない、イタリア語勉強中にこんなこと考えていたな、そういえば留学中にこんな事あったな、CILS C1の試験に奮闘した、というような事を話していきたい。イタリア語への私の思いを伝えたい。ととめどない思いが沸き上がってきたのは自分でも驚きだった。自分のやりたいことがわからないと何年も言っていた時期があったのだけど、私の軸はここだとやっとわかった。こんな私でも、語学を通して何かを伝える事が出来るだろうか。イタリア語を通して異文化を伝えたい。自分のストーリー=歴史は宝、そこから誰でも価値を見つけ出せると言ってくれたライフシフトデザインの君島弘子さんとの出会いにも感謝している。

今の私のキーワードは、田舎生活、イタリア語、異文化交流、現地密着、滞在型コミュニティ、イタリア語コミュニティ 来年の今頃どんな事言ってるんだろうか。コロナだけは収束しておいてもらわないとな。

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