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イタリア語をどうやって勉強したか インプットとアウトプットについて

20年イタリアに住んでいると言うと必ず聞かれること。私がどうやってイタリア語を学んだのか。

↑↑↑これらのnoteの時代は確実にインプットの時代だった。イタリア語の洪水の中で生活することによって耳がだんだん慣れていく。何を言っているか分からなくてもイントネーションが頭に入っていく。誰も助けてくれない環境であればあるほど、必要に迫られて新しい単語を覚える。

日本で勉強している時にイタリア語単語必須100なんてのを目にしたものだけど、現地で困ったときの単語なんてのは必須の中には絶対に入ってない!アパートの排水管詰まるだとか、嵐で水漏れして部屋びちゃびちゃですとか、自転車のチェーンが外れましただとか、トイレットペーパーが分からなくてうん〇のための紙と言って大笑いされたりした。アウトプットはまだできなくても、イタリアに1人で暮らしだすということは毎日あらゆる問題に対処するということ、対処する問題が全て急を要するものだから、必死のパッチで誰かに聞くしかない。この経験が語彙を増やす。とにかく分からない単語をどうやって簡単な単語で表せるかという訓練をするのもこの時期、このトイレットペーパーのように。この訓練は後々までとても役に立つ。

言葉を覚えるという点では、いろんな事が恵まれていない方が上達が早いかもしれない。いつも解決してくれる人がそばに居たり、日本語や英語が通じる環境であれば、必死のパッチという状況にはならないだろうから、記憶にも残らないだろう。可愛い子には旅をさせよというが、旅=大変な状況は、いろんな面で人を逞しくしてくれる。渦中にいる時はその状況を恨むのだけど。

その後すこしずつアウトプットが出来る、したくなってくる。しかしペラペラと話すのはまだまだ難しい。この時にとても良いツールが携帯でのメッセージだった。今はsnsがあるのでもっといろんなツールがあるけれど、2000年当初はイタリアの携帯はアルファベットでのメッセージのみだった。大して用事がなくても、イタリア人の友人にメッセージを送ってみる。返ってくる返事で別の人に使えそうなのはコピペしてまたアウトプット。メッセージでのやり取りは話すのと違って、誰にも急かされずゆっくり考える事が出来る素晴らしいアウトプットの方法だ。

メッセージでイタリア人の若者が使う短縮文字を覚えた。たとえば、TVBはTi voglio bene、cheはk、C6はCi sei とか。他にももっと沢山あった気がするけど、若者と接点なくなった今出てこない(笑) それからメッセージを閉める時にCiao以外にBuona giornata や Buona sertata、これを書かれたらここで自分も挨拶をしてメッセージを終わらせるべきなのだとか、最後に un abbraccio(hug)やbaci(kiss)を付けてaffetto(愛情)を表すとか。絶対のきまり事ではないけれど、こういうやり取りを見る事でイタリアの文化を知ることが出来る。この国では相手へのaffettoを表すのは礼儀であって、なにも恋人どおしだけの話ではない。もちろんちょっと素敵だなあという彼や彼女とのメッセージ交換、あるいは熱く愛を語られるという事であればメッセージの数も半端ないと思うのでここのアウトプットで飛躍的に語彙が増える事、間違いなしだ。

留学から3か月経ったころ、私立の語学学校からFirenze大学に勉強の場を変えた。2001年の年初だった。ヨーロッパの大学では、大学準備コースと呼ばれる主に言葉のサポートと文化を教える外国人向けのコースが設けられている。最近の基準は知らないが、当時は日本の大学の卒業証明書があれば入学が可能だった。大学の場所を調べて受付に話を聞きに行き、入学手続きをした。クラスは初級から上級まで6段階に分けられていて、1クラスの人数数十人と私立の語学学校に比べてかなり多いので、最初の頃ついていくのは大変だった。ここでまたインプットの洪水に戻ることになる。大学は多国籍に溢れており、あらゆる年齢の人がいた。午前中はクラス別の語学の授業、午後は映画を見たり、音楽を聴いたり、美術史、歴史の授業があった。雰囲気はとても緩かった、だれも強制はしないかわりに目もかけてくれないので、自分次第。学期末にテストがあり、合格すると証明書を発行してもらえる。私は、medio中級とmedio avanzato中の上クラスを取って終了した。世界中の友人ができたことは今でも私の宝物となっている。

大学の午後の授業は毎日はなかったので、この頃から、観光客を相手にしているハイクラスという高級皮革屋さんでアルバイトをした。日本人観光客の為に雇われたが、一緒に働く人は全員イタリア人だったのでここでも新しい言葉を学んだ。そして、働いてお金を頂くという事で自分にも自信がついたのを覚えている。当時はリラの時代で、お給料はスズメの涙なのにも関わらずもの凄い大量の札束だったのを覚えている。お店でお客様と話すことは最高のアウトプットの練習になった。話す内容が決まっている状況(売る人と買う人の会話)では、何度も同じ会話を繰り返せるので、練習にはうってつけだった。

2001年9月留学してから約1年が経とうとしていた。大学生としての生活は楽しいのだが自分は来年には30歳、このままイタリアに居たいならやはり仕事を探さないとと思い始めた。大学の上級クラスに行くかどうか悩んだが、就職に直接役立つ勉強をしようと再度Scuola Toscana に戻って Businessコースを選択した。イタリアに根を下ろし働こうとしている仲間が集まっていた。イタリアで働きたいと心を決めていた。ここでの行動は、目的を定めたインプットだった。

ここから先は、就職先を見つけたミラノに場所を移すことになる。長くなるので次回に続きを書きたいと思う。

イタリア語をどんな状況で学んだのかを振りかえってみると、常にインプットとアウトプットの時期を行ったり来たりしているということが分かった。これは語学学習には外せない要素だ。どっちがなくても伸びない。どうやって勉強したかという具体的で絶対な方法を知りたい人には何の役にも立たない内容だったかもしれない。でも私の中でのどうやっては物や方法ではなく、生活そのものだったのだからしょうがない。もちろん学校に通って動詞を繰り返したり、練習問題をやっている時間も沢山あるのだけど、本当に学んだと思う瞬間は全部その外の出来事なのだ。自分が通った場所、置かれた環境、沢山の会った人、それぞれの人と話した事、メッセージした事、その積み重ねが私のイタリア語になっている。

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