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知性とは


知性とはなんだろう。

子どもが宿題で書いてきた言葉に印象的なものがあった。

「弱い者ほど相手を許すことができない。
許すということは、強さの証だ。」

ガンジーの言葉である。

許すことは強さだ。本能ではない理性で判断ができているということだ。

理性を保つためには知性が必要になってくる。
知性とはなんだろう。

わたしは留まることだとおもう。
何を言って、何を言わないかの判断をすること。
自分ではない相手の立場や考えを汲み取ること。

そう思っている。


話は変わるがわたしは性格が悪い。

普段はあまり争いも喧嘩も好まないが、自分の好きな人が理不尽な状況になるとその状況にした相手を許さない。
確実に相手が不利になるよう周りから固めていく習性がある。

そのようにわたしが怒り狂う時は大体その行動をした人の知性を疑う時である。

なぜこの世には相手の立場に立ち物事を考えないことが正しいと思ってる人がいるのだろう。
その発言が相手をどれだけ痛めつけるのか考えることは「指導」という言葉にすり替えれば考えなくてもいいのだろうか。

そんな偉そうなことを言うが、私は気に食わない奴がいるとわざと聞こえる声で悪口をいう節がある。

良くないから治せと言われその愚かさに気付いたから今は自称治療中である。

まぁ、自分のことは棚に上げていいのが自分のnoteなのでこれは置いておこう、あくまで神視点で書き綴るのだ。

かわいいかわいい後輩を「指導」という名目をたて嫌味を言う上司を私は絶対に許さない。
彼女が一生懸命したことを「間違っている、なぜそんなこともわからないんだ」といい、なんのマニュアルもないからわかるわけがないのに自分ルールを押し付けるのはそれこそ「間違っている」

知性をもち生きていくのは難しい。
何も伝えないことが正しいわけでもない。
ただ、伝え方やその状況を理解し、誰に言うのが一番いいのか、


それを考えられないのは違うだろって

先輩だから何を伝えても許されるというのは違うだろって

そう思う。

わたしの中の悪魔が私を怒り心頭にさせた相手を今後どう痛めつけようかと考えたりもするが、その計画は次に何かあったときに一気に爆発するためにあたためておこうなんて性悪なこと考えて、今日もある程度の暴言を吐きながら仕事をする。


では、また。


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