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価値観は合わせるもので押し付けるものではない
最近一つ胸の傷を落ち着かせる気付きがあった。
こんな気づきを得たのはつい先日友達と人に映画を勧められたときの話をした際だった。
人に勧められた映画があまりに私に合わなくて私はしばらく具合が悪くなった。こんなに趣味が違うという事は人として合わないのかもしれないと相談したところ、
「人に映画を簡単に進める事は『グロい』行為だ。
その作品が相手に合う確率の方が少ないのに、相手の時間をとってまで強要するのは果たして正しいのか?それに送っている側は良いとしか思ってないから批判もできない。
観た?なんて言われた日にはたまったものじゃない。」
と言われ雷が落ちた。
人はどうしてだか相手に期待をする。
期待にもいろいろな種類があるが今日は「価値観」について話をする。
一人一人が自分を表すものをきかれたとき答える事はさまざまだと思う。
では自分を表すものを、好意を持つ相手に伝えようと思った時どう伝えるだろうか。
わたしは以前大量に自分の好きな動画を送られてきたが、観なかったことから相手に嫌われるという謎の行為をされたことがある。
あの時はもっと相手を理解しようとしていれば…なんて一丁前に泣いていたが
いや、まてよ
おかしくないか?
だってそれをわたしが同じことを同じレベルでしたらまぁ受け入れられない事はわかってるのに、
わたしだけ受け入れないといけないのか?
趣味も興味も人の数だけある。
センスがいいと思うものもある程度の人数が集まれば「人気」なものになるが、果たしてそれは万人が好きなものになるのか
わたしの大好きなYouTuberを嫌う人もいれば、わたしが愛してやまない音楽をなよっちいと拒む人もいる。
忘れてはいけないのは自分の愛するものは「自分が」大事にする事である。
自分の好意をもつ人に受け取って同じ熱量で返してもらうことではない。たまたまその熱量を送った相手が返してくれたらそれはもう奇跡だと思う。
そうならないときに相手に不満を抱くのはただのエゴだ
醜いエゴだ
わたしが何をみようが、何を聞こうが、どう感じようがそれはわたしの自由である。
当たり前だろ
どうしてだかセンスがいいと思ってほしくて何かを与えられた時相手の求める返答をしようとしてしまう。
疲れるからやめようって決めたじゃん
何が怒りのデスロードだよこっちが怒りのデスロードだわ。
またどうしようもなくモヤモヤがたまりそうだったから吐き出せてよかった。
これを読んでる人も何か相手に期待して共有をする時押し付けになってないから考えてから行動して欲しい。
それでは
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