それは、背中がちょっと薄くなったこと。笑 そして、頭の中の思い込みよりも、肉体は早く結果が出るってこと。 さらに、私は使い方を知らないまま、肉体をもっていたのかも、ということ。 毎日10回、腹筋をする!と決めて16日間続けてきた。 発熱中も10回ならできる!と思い、やってきました。 腹筋10回のつもりが、30回+ストレッチ→50回+ストレッチになってきているけど、 基本、私は腹筋10回をしているのである。 そして、腹筋10回をしていて気づいたことがある。 腹筋
ここ1週間程前から、気になってきたもの。 それは『心(こころ)』。 心ってなんだろう?心ってなぜあるんだろう?と思うことが強くなりはじめた頃、私は夏風邪をひき、3日間、布団生活を過ごすごとになりました。 1日目。発熱しだすと、目も開けられないくらいに頭痛が酷かったです。 お陰で、日頃の視覚による情報量の多さと、脳の処理能力の優秀さを改めて実感しました。 そして、1日目に私が見たものは、目を閉じた世界。 (つまり、刺激が強すぎて目が開けられない) ただただギザギザしたア
わたしたちは、どちらかだけで存在している、というものはない。 光だけ。闇だけ。どちらだけで存在している、というのはない。 善だけ。悪だけ。どちらだけで存在している、というのはない。 陽だけ。陰だけ。どちらだけで存在している、というのはない。 結局、どちらか一方をしているつもりでも、それだけという偏った在り方は、何一つ存在できないようになっている。 どちらもあっての、1つであり、全体であるから。 幼虫のころは、美しくない? サナギのころは、美しくない? 蝶々になった
ひめた ねがい が やくどう する か の ごとく くっきり と その ひとみ に うつった とき すべて が ここ に つながる ため の るーと だと わたし は しる こと に なる。 やたらと『飛躍』という文字を見る。 今日は、『ひやくする力』を召喚。 飛躍はどんな感じ?飛躍の感覚にフォーカスしてみました。 絵を描く時、私は言葉を忘れている。 絵を描くようになって気づいたこと、 それは、 ノートなどで自分に潜りながら言葉にする時点で、左脳がかなり使われ
突然の質問ですが、皆さんは「ワンネス体験」をされたことがありますか? もし、YES!だったとしても、NOだったとしても、もし体験したことに「伝えていかねばならない」と思うほど、ものすごく意味がある体験だったとしたらどうしますか?どう表現をしていきますか? またまた突然ですが、私は幼い頃から「見えない存在」と遊んだり、話したりする子でした。側から見ると「1人ごっこ遊び」をしているように見えますが、そこに存在がいつもいました。 大人になっても人間の友達をつくる以前に、そもそも「
私たちは、今この瞬間にも膨大では収まりきれないほどの刺激という名の情報を受け取っている。 ほとんどの情報は、受取手の好みに基づき、重要ではないと判断されたものは脳の処理によって見えないものにしてしまっている。 絵を描くというのは、三次元でみているものをキャンバスに表現することもできるが、そのまんま三次元通りの描写なんて何一つない。 表現する側は、目には見えていないものを必ず描いている。 それが"雰囲気"だ。 雰囲気とは、物の形や状態、心に感じたことを、言葉や絵画、音
今朝方の夢で、魔法が使えるようになっていた。 しかも、鉄製のものを錆びさせることができ、また錆から回復・再生させることができる魔法だった。 悪さを働かせているある人のエメラルドグリーンの鉄製の武器?と箒(ほうき🧹)を没収することになったのだけど、私はパワーを台無しにするために、劣化させる魔法をつかった。 相手は自分の力を発揮することができなくなったため、降伏。 私は回収するついでに鉄製の箒で帰ることにした。 その時、錆びた箒を再生させる魔法をつかったのだけど、なかな
今日(6/22)は、満月&一粒万倍日🌕 たまたま、くれよん🖍️が激安だったので購入。 画材を見るのが楽しくて、有隣堂によく行っていたなぁ。 (百均の画材コーナーとかずっと見ていられる人です) 中学時代は美術工芸部だったので、学校の先生が川崎のユザワヤまで連れて行ってくれたのが楽しくて。 豊富以上の贅沢な品揃えに、めちゃくちゃ興奮したのを憶えている。 今もどこそのモールとかにユザワヤや文具店があるとつい入ってしまう。 絵は辞めたんだった、、、と言いながらも、画材があ
絵が描きたい。 ずっと閉じ込めてきた欲求。 閉じ込めるのも疲れてきたし、飽きたので解放。 うまいとかへたとか、価値があるとかないとか、本当にそんな言い訳してきたけど、それもどうでもよくなった。 例え、所詮、わたしたちがビーカーの中にいる微生物であったとしても、意識ではビーカーの外にいる主につながっているわけなので、 どんどんやっていくっきゃないんだな、と決めた。 私の場合は、じぶんをしっかり満たすことが、必然とすべてに益をもたらす担当者らしいので、 とりあえず、
先日、曼荼羅アートセラピーを体験しました。 そしてね、中・高校生の時とか、絵画にしても書道にしても、この右脳につながっている感覚があったのを思い出したんです。 そして絵を描いたり、書道したりすると何かしらの賞をいただいていました。なぜ?笑 描いている時は何者でもない。私というものすらない。 なんか、現れるもの感じるものをそのまま表現だけをする感じ?他のアレコレ、色味をどうするか?構成は?とかも全く考えていない。 なので主語がないんですね。 そして何かに一直線。 そ
よく「感謝」に対する大切さを見聞きする。 感謝する、とか、感謝しなくちゃ、とか、感謝の気持ちって大切だよね、とか、感謝するべきだ、とか。 感謝している状態にもっていくことが、大切なんだな・・・とふんわり、やんわり、そしてどこか明確に感じたり、思ったりしている。 でも、、、そもそも「感謝」ってなんだろうか??? なんで感謝の状態に”もっていく”必要があるのだろうか? そこで私は感謝している状態を想像をして「感謝している感覚」を感じてみた。 この文章を読んでいる皆さん
ブロック外し、とか、手放し、とか手法使っても、変わらないってことないですか? 私は過去にたくさんありました。 なぜ変わらない?こんなにやっているのに、なぜ変わらない? と思ったこと、またか!と飽きるまで何度も何度も思いました。 さらに、うまくいく時、いかない時もありました。 この違いはなんだろう?🤨と観察しながらやっていくうちに、あることに気づき、 外すとか、手放すって、サッとして、パッと変わることが簡単にできるようになりました。 そしたら、生きることが、みるみ
私たちは、常にパラレルワールドの一部にいるってことに気づいてますか? 常に、一刹那毎に、パラレルワールドに、私たちはいるの。 だったら何を選ぶ?何を感じたい? 変なところにエネルギー課金しちゃってる場合じゃないのだよ。 望んでいない世界に向かって考えている場合じゃないのだよ。 今、いろんな節目を迎えているような流れなんだけど、 もしも、望んでいない世界に関しての情報を見たとしたら、どうするか? じゃぁ、どうしたい? じゃぁ、どんな世界がいい? そして、その世
昨日、受講生さんとお話をしながら、 ちゃんと段階を踏んでいるのにも関わらず、 どうして引き寄せがうまく発動しなかったのかが、わかってしまった。 話していたようで、ちゃんと言語化していなかったことに気づいたのです。 書くことでうまく伝えられるかわからないけど、取り敢えずいきますね。 何かある状況を引き寄せたいと思ったとします。 例えば、今、お財布に200円入っていて、それが全財産だとします。 お給料日までに1週間あったとします。 うー、、、これじゃぁ、ギリギリど
私は、誰も自分のことを理解してもらえない、長いことそう思っていた人でした。 この気持ちを誰かに伝えたい、 この体験を誰かと共有したい、 好きなことを誰かと話して喜びあいたい、 そう思ってたけれど、長いこと、本音で話せるような人がいませんでした。 夫との出会いは本当に大きくて、家族以外の他人と住むことがこんなにも気をつかうことなのかと、内心、とてもビックリしたのを憶えています。 そして、言わなきゃ伝わらないというのも体験することになります。 話しても話さなくても、勝手
昨日、おかしいことに気づいてしまいました。 私、自分のことずっと「飽き性」だと思っていたんですが、 飽き性なのではない、ということに気づいてしまったんです。 (昨日いただいた)今回の表彰で気づいてしまい、私の中ではものすごい衝撃でして・・・久しぶりにべコーン!って凹みました。 恥ずかしいことなので伏せたい気持ちは山々ですが、 私自身、根っからの自己否定の塊で長いこと生きてきた身なので、これは自己否定を経験している人はその傾向あるんじゃないかと思い、今回、すごく恥ずか