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『つながる力』

突然の質問ですが、皆さんは「ワンネス体験」をされたことがありますか?
もし、YES!だったとしても、NOだったとしても、もし体験したことに「伝えていかねばならない」と思うほど、ものすごく意味がある体験だったとしたらどうしますか?どう表現をしていきますか?

またまた突然ですが、私は幼い頃から「見えない存在」と遊んだり、話したりする子でした。側から見ると「1人ごっこ遊び」をしているように見えますが、そこに存在がいつもいました。
大人になっても人間の友達をつくる以前に、そもそも「ともだち」という概念がさっぱりわからない人です(いまもw)。

・・・と、今更なカミングアウトですが。

そんな私はここ3ヶ月ほど、とても素敵でユニークな方々とのご縁をいただき、その仲間と共に月一の読書会に参加させていただいております。
かなりぶっ飛んだ話も哲学な話も安心安全で話せるし聴けるしで、私の精神衛生はかなり整えられております。誠にありがたいです✨

さて、その読書会で今回選んだ作品が「ワンネスの扉(ジュリアン・シャムルワさん著)」でした。(以下からジュリアンさんと書かせていただきます)

「ワンネスの扉」(ナチュラルスピリット社)は、著者のジュリアンさんが16歳でUFOを目撃して以来、謎の宇宙人との交流がはじまり、なんの予想知識もないまま「ワンネス」を幾度と体験。長年つぶさに記録した手帳を書籍化された本です(宇宙ジャーナルという手帳も販売中です♡)。



なぜこの本を選んだかというと、わたくし、過去に強烈な「ワンネス体験」と遭遇し、そこから「これを世界に伝えよ」という使命を与えられたのにも関わらず、どう表現したらいいのかわからず長年もがいていた1人だったのですが、今回の読書会で「これでしょ」と手に取ってしまい、向き合わざる得ない状況になったのが理由です。

過去に幾度となく再読はしていますが、最初にこの本を読んだ時、まったく同じ体験をしている人に出会えた喜びはかなり激しいものでした。(表現よ)

「ワンネスの扉」の中でも、今回私が印象的に感じて選んだ章は、

「5章 ワンネスと日常生活 ノンローカルな魂の次元」という章でした。

あのとき集中的に体験したワンネスの世界を、その後の数年間は漠然としか考えられなかった。言葉を超えた体験をどう捉えればいいのだろう。言葉にしろ絵にしろ、この三次元世界の限られた表現方法のなかでそれをどう整理し表現すればいいのか、暗中模索がずっと続いていた。
(中略)
ワンネスと言う体験は、成就したり目標を掲げて到達するようなゴール地点ではなく、既に存在している多次元世界に気がつく方法のひとつだと思うから・・・・。

個人の次元を超えるワンネスの世界。はじめはその情報量と新しい感覚に圧倒されるばかりだった。でも繰り返すうちに少しずつ慣れていき、次第にワンネスと言う体験が身について、自分の一部になっていた。

ワンネスの扉

私の場合、夢を通して宇宙船に搭乗した数日後に、日常生活圏内で「ワンネス」という体験を強制的にすることになったパターンです。

予備知識はまったくなく、また、ワンネス体験という概念もなかったため、どういうものなのか?がまったくわかっていない頃でした。

そのため、いざワンネスを体験した際、正直「私、精神的に大丈夫なんだろうか?生きていることがこんなにも喜びに溢れているのに、この状態で生きていくことはできるんだろうか?」と逆に不安におもうくらい強烈なものでした。

体験をしたのは車の運転中。
山沿いの道を走行していた際、緩やかなカーブに差し掛かったところにあった木々を見た瞬間、葉っぱの裏にある気孔が、目、視界いっぱいに広がり、美しく瞬くように光り輝いていました。
その瞬間、あまりの美しさ、そして胸から心の内側から喜びいっぱいのエネルギーが溢れるように湧いてきました。

これは愛だと感じた。
そして、そこには感謝しかなかった。

歩いていても、瞬間的にまるで何かスイッチが入ったように喜びと愛のエネルギーがどっと溢れ出し、涙が止まらない位にわんわん泣いた。

お店に入っても運転をしていても場所や状況かまわず、それは起きてくる。

その愛と喜びに委ねていると生活に支障が出てきたので、自分でスイッチを作り、ON/OFFを自分でバチン!と押すように練習し、自由に切り替えできるようになりました。

ワンネスはキラキラした、優しく、神聖なものというより、全画面に愛と喜びまみれ。その愛も強いどころか濃厚。

生きていることはこんなにもパワフルで眩いものなのかと、頭がまったく追いつかない状態になります。

(今は、自動で入っても調整できるようになりました。ご安心を。)

「ワンネスの扉」と出会ったのは、それからずいぶん経ったころでした。

この体験がなんだったのか?とずっと悶々としていたので、出逢った時は「あの体験の正体の答えが見つかった!」とホッとしました。

ただ「ワンネス」を知っていく中で、だんだんと「 これは大切なことであるに違いない。伝えなければならない。」という使命感をより思うようになり、でもどう表現をしたらいいのだろうか?どこから進めていけばいいのか?と実行できない自分に嫌気がさすこともたくさんありました。

それでもスピリチュアルな体験は続きます。

そして、私は自分のことをよく知る必要があると感じ、自分を徹底的によく観察するようになりました。そう・・・「自分観察」です。

僕は僕自身を変えるために、脳と戦闘を開始した。戦闘とは少しオーバーだけど、脳の反応、脳の考え方、脳の言うことを徹底的に観察し、一つひとつ脳の表現方法を解体しようとしたのだ。(中略)
目的は、魂と脳をはっきりと見分け魂のためのスペースを頭の中につくることだった。

ワンネスの扉

皆それぞれの表現方法で、宇宙の次元から無条件の愛と希望を伝えてきた。自分の内に宇宙とつながるスペースができると、彼らが示してくれる希望や愛を無視することができなくなった。それは、いま与えられた人生を精一杯生きる力になっていった。

ワンネスの扉

宇宙という魂の次元では、「自分」「他人」「宇宙」というコンセプトの区別はない。現実を細かく切り刻む見方をするのは脳であり、意識を拡張することによって到達するワンネスの宇宙では、「自分」「他人」「宇宙」はたった一つの同じ観点なのだ。

ワンネスの扉

「日常生活とワンネスの世界の境目に立つような日々を送っていた」ジュリアンさんと同じように、私も自分を観察していくうちに、だんだんと「高次元・低次元」という境目はないのを実感するようになり、高次元の存在が上層・人間は下層という概念もなくなりました。

以前は「人間は未熟だから」という前提があったのですが、宇宙の存在も、神様も人間だった経験があるかもしれないと思うようになりました。(まぁ、実際そうですが)

どっちが勝ちでどっちが負け、どっちが上でどっちが偉い、どっちがすごくて、どっちがいい・悪い。それは誰が決めたんでしょうか?
そのモノサシ・その基準は誰のものでしょうか?
銀河にそれはあるでしょうか?太陽にそれはあるでしょうか?鳥にそれはあるでしょうか?木々にそれはあるでしょうか?野菜にそれはあるでしょうか?石にそれはあるでしょうか?アリにそれはあるでしょうか?
循環にそれはあるでしょうか?
本当の正しさって本当にあるのでしょうか?

実際、私たち万物は混沌とした宇宙にいる時点で「同じ=対等」なんです。

私は「ワンネス」体験をしたことで、この視点を誰かに伝えなければ、表現していかねば!と頭でずいぶん考えていました。

でも、気づくと今、私は「潜在意識のサポート」をしている講師になっています。
つまり、仕事をしながら「ワンネス」を表現し、伝えているんだと、今回、読書をして、ようやく気がつくことができました。

伝えたい・どう表現すれば?と方法ばかり目がいっていましたが、もうすでに私たちは繋がっていて、私たちは宇宙そのものの中にいる。

私たちが一人一人がどれだけ今この瞬間にワンネスであることを自覚していくか、無限のなかで有限の「存在」として生きている事実を、いかに喜び、楽しむか。
自分として生きることでそれを表現していこう!!!生きているだけで表現だ!!

こうして、私はまたワンネスの扉を開くのでありました。。。

最近はようやく絵も描くようになりました。
絵を描きたい欲求を、ずっと封じ込めて描かない努力をし続けていました(約30年間)。
でも、もうそれも意味のないことだとようやく理解したんです。
絵を描くようになったら、右脳とのアクセスや左脳の働きが円滑になってきました。いいぞ、いいぞ♡

ノンローカルな意識で生きたいと思うなら、まず自分をよく観察し、脳が作り上げている自分と、魂の自分を見分ける必要がある。そのためには自分の内側に生じるすべての考え、感覚、気持ちなどをつねに客観的に俯瞰して観察してみること。朝起きてから夜寝るまで観察し続け、一つひとつの「源」をすべて確認する。

ワンネスの扉

ノンローカルに生きると、必然と、そして自然と「つながる力」が既にあることに気づけます。

ジュリアンさん、素敵な著書を本当にありがとうございます。
また再読します。




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