アブラハムには七人の子っていう歌詞にのせて、カラダを動かす手遊び的なあれ、いまは歌われているのでしょうか。 何かをほめれば、じゃぁ反対がわはダメなのかってそういうわけではなくってね、な今日この頃。 くまは褒めてもらえない側の、こぐまでした。 でも、みんなで金太郎になりたいわけでもなくて。 クラスに同名の子がいると姓で呼ばれるほう、っていうとなんとなく思い浮かぶ同級生や、もしかしたらあなたがいるのかもしれないですね。 姓が同じ、も割とあり。 これは名を呼ぶで解決していた
理由はわからないのだけれど、どうにも苦しく耐え難いもの、ありませんか? なんでも書いちゃうとわざわざそれ仕掛けてくるひとがいるので、こればかりはひとには仕組めないものをあげるのですが、旅先の夕暮れ。 異国のまちを歩いているとき、日がしずみ暮れゆく路地に街灯が灯りだす頃。 家路につくひとに流されながら歩くとき。 胸の奥から、これが腹式呼吸で意識しなさいと教えられる横隔膜あたり?からわきあがってくる、叫び出しそうになるあの気持ち。 郷愁と呼ばれるものだと思います。 不
のはくまには難しいかもしれない、と思いましたのはかれこれ三日にわたって未だ天井のお話ができていないので。 思い出すと懐かしくなんでもない風景がもう遠く遠くにかすかに見えるものになっていたことがすこし寂しくもあり、もう少しあの景色の中にいたかったと思うようになり、あぁこうやって年齢を重ねると昔話が長くなるのだなと。 伝承と書くには大袈裟なお話ですが 子どもが危険な行為をしないためにわかりやすく伝えようとした話がつぎの子へさらにつぎの子へと世代をこえて伝わるうちに、そうなっ
昨日、不思議な夢をみたのです。 目が醒めて幾つかの出来事をおぼえているうちにTwitterに書き留めたのは判断力がだめな時にSNSにあげるのはとても危険なのでやめた方がいいですよ、わたし。 そこに書いたおかげでまだ夢の輪郭だけはかすかになぞることができるくらいに、儚くぼやけて消えてゆこうとしている景色のあのころを思い出して不思議だった猫の思い出をnoteに書きました。 祖父母が先代より受け継いだ田畑を耕し、農機具を収納したり収穫した作物を保存したりときには夜なべをして出
祖父母は農家だった 祖父母は農家でした。 先代も農家でそのまた前の代くらいになると田畑を耕して米と野菜を作らなければ食糧が手に入らない時代でありましたので、母屋とは別に長屋という建物がありました。 長屋というと落語に出てくる長く造って一軒ずつに仕切った建物が小さな通りをはさんで向かいあってならぶのを想像されるか、あーうちにもあったしなんならあるわという方も多いかと思いますが、巣穴の長屋は農作業のための建物でした。 農機具を収納する部屋、畳が敷いてあって寝泊まりができる
衝撃の画像で失礼いたします。 鳩です。 7〜8年くらい前に紙に描くものと立体にして作成するものにさほどの乖離がない残念な技量であることをお伝えしなければ、とこねました。 印刷技術としての版画に興味を持ち、自分で刷ることができる場所があることを知り絵画教室に通い始めて気がついたのですがわたくしの頭の中にある描きたいものはこれだったのです。 どうしよう。 周りを見渡すと基礎から学んで来られたことがわかる精密な作業を続ける方々ばかり。 どうしよう。 どうしよう。 そ
これはもう、何かの呪いなのでは? 新しい靴下をはいたその日に穴があく、という悲劇がつづいたことがありました。 きゃぁーっ、となったのは素敵なお洋服屋さんで試着させていただくために靴を脱いだら親指がこんにちわしていた時でした。 足の指を骨折してから後は変なところに力が入っていたのかもう毎日靴下に穴があいており、開き直って適当な糸で繕ってはき、また別のところに穴があくという繰り返しで、あまり高価な靴下は買わないようにしておりました。 とくに旅に出るときはかなりの距離を歩く
いつかこの日々が思い出になったら、 それくらいの時間が流れて いためたこころが安らぎで満たされたなら その時には聞かせてほしい この瞬間をどんなふうにあなたが生きたか。 そう思いながら過ごした一年でした。 忘れ物を取りに帰るようにはゆかない。 学校生活の最初の、最後の、数年目の一年が今年であったことも、目標にしてきた試験に十分な準備ができたか、させてあげることができたか問いかけながらその日を迎えようとしていることも。 憧れて学んできたことを職業にすることが難し
新刊書籍から古書、 小さな出版社さんと直接お取引しなければ入荷されない本、 作家さんが個人で制作を手がけられたZIN。 などなど、お取り扱いはさまざま。 お店の常連さん方が本棚の整理をされた古書が店主さんによる選書の中に並んでいたり、見知らぬどなたかの蔵書庫をみせていただいているようなすこし不思議な感じのするお店があるのです。 物語のなかに出てきそうな。 二階へ続く螺旋階段の下に秘密の小部屋。 外の青い壁と屋根のかたちが印象的で、螺旋階段があるお店。 これだけ
出さないと決めて書く手紙があります。 数年に一度くらいでしょうか。 今回はどう話したら伝わっただろう、と振り返りながら長い長い手紙を書いてシュレッダーにかけました。 こんな時に行けたらな、と思うお店。 ※こういう時のお手紙はレポート用紙に書くことにしています。感情と考察※
写真を買いました。 もう10年くらい前になりましょうか。 旅先の蚤の市で色々なものがつまった段ボール箱が並んだテントで、欲しいものが見つかると店主さんにお見せしてお値段交渉する方式。 格安でゆずっていただけることが多く、とくにわたくしが欲しがるものは両手に抱えて2〜3ユーロくらい。 日に焼けた使いかけのメモ帳や、梱包資材。 商いをたたまれたのだと思われるお店のお名前が入った未使用の立派な台帳は少しお値段がはりましたが。 その中に、古い街並みを背景に立つ幼い女の子の
数日前にニュースを読んでいた。 固定電話機から、深夜や不在の時間帯にお家の方にはおぼえのない119番通報があいついだというニュースを数日前に読んでいたのです。 それでも、実際に起きてみると「(なにか)来た」とちょっとだけおもいましたことを告白いたします。 早朝、居間から電話機のボタンを押す音が。 手元に控えた番号を確かめながら押しているような、ためらいの間を感じさせるぎこちなさで聴こえてくるのです。 明かりもつけずに。 すりガラス越しにあるべき場所に見えない影と気
11月の満月のなか、約半年をかけて参加させていただくことを目指して走ってきた計画が新しい段階に切り替わろうとされています。 わたくしをふくめ多くのひとはこの日がゴールになり、これまでに見つかったあたらしい課題といっしょにつぎの目標にむかってゆくことになるのです。 締め切りとよばれる日なのですが、当初はきっとあせりのなかでむかえるのだろうなと思っていたこの日が近づくにつれて、さみしいなぁおわってしまうのかぁと不思議な気持ちに。 個々に課題をこえてゆき、持ち寄って完成になる
ほんとうだったら、この日はこうだったのになって思っていたり口に出したりすることがおおくなってる。 と気がついたのは、予定を大きく変えられた方々が自らの意思で、より胸躍る方向へ舵を切り続けてゆくのを見せていただいていたからだと思いました。 もっとすごいことをやっちゃうからねって。 それでもほんとうだったらの予定をうかがっていると、空、見上げちゃうんですね。 わたくしが下を向いてはいけないと。
雲をひきながら上昇してゆく飛行機に願いをかける日々です。 元気ですかー⁈
カメラロールの中に はじめておうかがいしたのだとおもわれる、お店のカフェラテ。 どちらでしたか、と日付けを見ておもいだしました。 どうしても行きたかった方の講演が電車で数駅まで来てくださると知り、即、お申し込みをした日のことを。 告知がInstagramでのみだったと思うのですが、アカウントを持っておらず、一瞬だけどなたかがTwitterに流してくださった情報で。 たぶん、短期間で満席になられ告知を共有してくださった方を見失ってしまいました。。 絶対に遅刻したくな