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伝承する。

のはくまには難しいかもしれない、と思いましたのはかれこれ三日にわたって未だ天井のお話ができていないので。

思い出すと懐かしくなんでもない風景がもう遠く遠くにかすかに見えるものになっていたことがすこし寂しくもあり、もう少しあの景色の中にいたかったと思うようになり、あぁこうやって年齢を重ねると昔話が長くなるのだなと。

伝承と書くには大袈裟なお話ですが

子どもが危険な行為をしないためにわかりやすく伝えようとした話がつぎの子へさらにつぎの子へと世代をこえて伝わるうちに、そうなっている理由の一部が欠落し、わからないのだけれどその禁忌に触れるとよくないことが起こりやすいことというものがいくつかありました。

地域のお話であったり、ごくごく内輪のおはなしであったりはしましたが。

車に轢かれた動物を見ると落命するため指を決められた形にして組み回避する、というのは誰から聞いたかも思い出せません。

元になった事故があり、車が走る大きな道路で何かに気を取られては危ないですよというお話の禁忌の部分の印象が強く伝わって形を変えていったのだと思います。

長屋と呼んでいた建物があった

もうかれこれ三日目、そろそろ寿限無。

読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございます。

ごめんなさい。

本日、完結。

長屋と呼ばれていた建物がありました。

祖父母が農作業のために使っていた建物で一階部分が用途別の部屋に分かれており、二階は全てが一部屋になっており部屋というより屋根裏部屋といった雰囲気で主に稲藁を置いてありました。

わたくしはその二階の部屋がお気に入りでしたが、アルプスの少女ハイジになりきり稲藁に寝そべり何にかぶれたものか全身に赤いブツブツが出来て以来、すっかりこりて出入りしなくなりました。

農作業に使う場所でどんな遊び方をしていようが鷹揚に見守っていてくれた祖父母から、ひとつだけ二階のここから向こうへは入ってはいけないと言われていた境界線があったのですが、それがなぜかはきけずにいました。

一階に一部屋、誰が寝泊まりするわけでもない畳が敷かれた部屋があり、入ってはいけないと言われていた境界線はその部屋の手前から向こう側だったので、誰がいた部屋だったのか、誰のための部屋なのか、その上を歩いてはならない何かのための部屋に畏れを抱き、たずねることができなかったのです。

当時、ずいぶん古くなっていた母屋の建て替えの話が進んでおり、建て替えの間、祖父母は裏座敷と呼んでいた台所のある離れに、くまたちは

長屋のその部屋に住むことになったのです。

この日のために準備していたにしては収納には講や法事で使うお膳の一式がびっしりとつまれており生活することを考えたつくりではなく、布団は畳んで隅に置き、衣類は衣装ケースを積み上げて出し入れする生活。

畳が敷いてあるとはいえ床は板張り、下は母屋の土間と同じ打って固めた土だったので夏はすずしかったのですが冬は部屋の中に置いたコップに氷がはる寒さ。

上を歩いてはいけないけれど、この部屋で寝起きするのは構わないのが不思議でした。

代々お世話になっている大工さんの先代が初めて母屋の普請を棟梁として手がけてくださったのがわが巣穴とのことで気合いを入れてくださったと聞いていており、ご近所さん方も母屋の建て替えということで近くの山にみんなで入り立派な木を一本切り出して運び下ろしてくださいました。

その土地に生えている木を使うことで家が永く保つようになる、そう教えてもらいました。

一年かそれよりも少し長く長屋での生活は続いたと記憶していますが、大工さんや職人さんがきてくれるので毎日が賑やかでそのぶん夜の静かさが耳にしん…と聞こえるようでした。

虫歯になった

学校の集団検診で虫歯が見つかり、そうなると病院にかかって歯医者さんに治療をしていただき、もう大丈夫ですよという書類を提出しなければならなず、くま母に連れてゆかれた歯科医院でまだ生え変わっていない歯なので抜歯して次の歯が生えてくるのを待ちましょう、ということになりました。

痛みが全くなかったので、くま、必死の抵抗。

今は痛くなくても隣のもう生え変わらない歯まで虫歯になるのですよという歯医者さん。

くま母もそれがよいでしょうと、その日のうちに抜歯、完治の書類もいただきました。

口の中に響く鈍痛。

下がるテンション。

明日になれば痛みもなくなると信じて寝床に入り、顔に濡れた布を押し当てられるような違和感に目がさめました。

みんなが寝ている中でひとり起きあがって違和感の正体を見極めようと目を凝らし暗闇に目が慣れてきて、自分の枕から布団にかけて血だまりが見え、すっかり動揺してくま母を必死で揺さぶり起こしました。

結果、巣穴、全員起床。

抜歯のあとから出血していたらしく、くま母が布団をかわってくれてとりあえず朝になったら歯医者さんへゆこうと再就寝。

翌朝、母の布団にも血溜まりができており、この量はただごとではないと抜歯をしていただいた歯医者さんから大学病院の歯科にかかることになり、診ていただいたところもう血は止まっているので大丈夫でしょう、と。

もしかしたら血が止まりにくい体質なのかもしれないので血液検査をしていただいたと記憶しております。

血まみれの布団は干してかわかし裏返して使い、もうしばらくして新しい家に入る時に買い換えることになり、やっぱりこの部屋、住むのもダメだったのではと思うようになりました。

抜歯後、血が止まらず亡くなった方がいると聞いたのは大人になってからでしたが。

絶対になにかある。

触れてはダメなところに住んでいる。

風の音に、揺れる木の影に怯えながら暮らした長屋生活。

そこにひと区切りがつく日がやってきました。

棟を上げ、餅を投げる。

母屋の骨組みができていよいよ棟上げ、くまの地域では棟上げの際にはまだ骨組みだけの建物からお餅やお菓子を撒く習慣がありました。

このとき、上にあがってよいのは男性だけと聞いていましたので、みなさまが祝ってくださる様子をこういうものなのかとぼんやり眺めながら次に投げるお菓子やお餅が詰まった箱を上に上げるダンボールリレーのお手伝いをしていました。

「くま、上がって来なさい」

呼んだのは祖父でした。

くま母ふくめ周りは驚いたのですがいつかこの家に住む者は柱がどこにどう立っていて梁がどこを通っているのか覚えておくのだ、と。

くま父もおりなにかいいましたが、祖父はくまが覚えておくのだと。

大勢の方の力をお借りして切り出して来た山の木が、このどこかに入っていることも。

大工さんたちが作業のためにつけていた灯りを集まってくださった方の足もとを照らすために灯してくださったときに見えた方々の顔も。

覚えておくのだと。

この棟上げをさかいに何かがつまったようなもどかしさというのか、違和感がなくなりました。

まだ床板もない柱だけの母屋で酒宴が始まり、だれかが祝いのうたを謡ってくれていて手拍子が聴こえるのをまくらに眠り、こんなふうにして建つものに忌むようなものはないのではないか、そう考えるようになったのです。

で、たずねてみたのです。

くま母にだったか祖父母のどちらかにだったか。

長屋の二階の向こう側、今、住んでいる部屋の上に入ってはいけないのはなぜなのか。

梁がすくないから。

はい?

梁が少なくて天井板に釘を打っていないから、梁のある場所を正確に踏んで歩かないと転落するし、荷物を置くのにも不向きだから。

えっ?では一階の畳の間は?

あの部屋は畳をあげて脇に寄せ、天井を開くと大きな農機具を二階に吊り上げることが出来る構造になっていているのだけど今はトラクターとか田植え機とかできたからそれもしなくなったねぇ。

うんと以前はとにかく人手が足らなくて繁忙期にだけ来ていただいてわが家が終わると、次のお家へそのまた次のお家へとお手伝いに回ってくださる方々にお泊まりいただくお部屋だったので人の出入りがなく畳も比較的綺麗なまま使われていなかったのだ、と。

二階の境界線には大変に重要な意味はありましたが、階下には誰も何もありませんでした。

ホラー系の映画あるあるの危険なので立ち入ってはいけないと言われそんなことでびびるとでも思っているのかよって言ってしまって帰ってこないというあの展開。

部屋の向こう側に何かあるのでは?と見にゆかなくて本当によかったです。。



※思い出したので追記。餅投げの最中「オーバースローはなしでっ」と声が上がり庭先がどっとわきました。遠くの方にも届くように投げたのだと思いますがお餅も当たれば痛かったとおもいます※






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