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猫がいた記憶。

祖父母は農家だった

祖父母は農家でした。

先代も農家でそのまた前の代くらいになると田畑を耕して米と野菜を作らなければ食糧が手に入らない時代でありましたので、母屋とは別に長屋という建物がありました。

長屋というと落語に出てくる長く造って一軒ずつに仕切った建物が小さな通りをはさんで向かいあってならぶのを想像されるか、あーうちにもあったしなんならあるわという方も多いかと思いますが、巣穴の長屋は農作業のための建物でした。

農機具を収納する部屋、畳が敷いてあって寝泊まりができる部屋、その年に収穫した米や作り置いた味噌や漬物を備蓄する部屋、かつての耕作の担い手であった牛がいた部屋とひとつの建物を仕切って使っていたことをおぼえています。

二階があり、そちらは建物の大きさそのまま一部屋の空間になっていて主に稲藁を置いてありました。

まだ子ぐまであったわたくしはこの二階がお気に入りで古いバケツや木の板で机をつくってアルプスの少女ハイジ気分にひたっておりました。

そばには稲藁の山とくればそこに寝そべってもみました。

できました、

全身に赤いぶつぶつが。

稲科の植物にアレルギーがあったのか、長い年月同じ用途に使っていたのでそうそう掃いたり拭いたりする場所ではなかったのでその他の何かであったのかはわかりませんが。

以後、長屋の二階、ハイジの部屋には出入りしなくなりました。

子どもが屋根裏でごとごと音を立てて遊んでいても気にしない鷹揚な祖父母でありましたが、二階のここから向こうへは入ってはいけないよと幾度も念押しをされているラインがありました。

階下は畳が敷いてある寝泊まりが出来る部屋だったのですがそもそも母屋に家族分の居室はあり、親戚が訪ねてきてくれた時は座敷か裏座敷と呼んでいた部屋に泊まってもらっていたのです。

ここは誰の部屋だったのだろう?

天井を歩いてはいけない部屋。

その時、すぐに訊ねればよかったのです。

なぜ?と。

天井を歩いてはいけないということは、そこにいる何かの上を通ってはならないということだと理解し畏れを抱いたのでした。

後年、あっさりと理由が判明するのですが。

その長屋には野良猫がやってきて住みつき子育てが終わるといつのまにかいなくなっていたことがありました。

懐くことも居付くこともなく。

ただ、一匹だけ不思議な猫がいました。

長屋の出入りに便利がよく、農作業の合間に休憩する祖父母がよくいた土間からすぐの部屋にテレビとコタツがあって、くまも時々コタツに入りながらテレビを見ていたのですが、足に何かがあたるので中を覗くと猫が丸くなって眠っていました。

祖父母の猫だと思っていたのです。

くまには犬がいたので猫がなつかないのだと。

あの猫の名前

すでにかなり古かった母屋は祖父母の代で建て替えられ、長屋も焼き板を貼った外壁の下から土壁が崩れてきて土がこぼれ出るようになり、取り壊しを検討しはじめた頃、ふときいてみたのです。

長屋に住みついた猫にもそれぞれ特徴やささやかな思い出があって、にもかかわらずコタツの中にいた猫の名前をわたしは知らなかったのです。

ねぇ、むかしうちに猫がいたよね?

みんなの答えは、是。

名前はなんと呼んでいたの?

みんなの答えは、えっ?

誰かごはんをあげていた?

みんなの答えは、否。

あまりに堂々とコタツの中にいて、だれもそれを咎めなかったので祖父母はわたしが、わたしは祖父母が、母は祖父母かわたしが連れている猫だと思っていたのです。

あの猫の名前、今はノラと呼ばれています。




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