見出し画像

熊野通信アーカイブス(その八拾弐) :人生に熊野を・・(4)

前回は、現代社会のシンボルであるパソコンキーボードのど真ん中に、現代社会が失った世界観や生命観を古来より孕んでいる「く・ま・の」のひらがなボタンが、配列されている不思議をお知らせしました。

思い起こそう「辛卯」の年

今年2011年は、良きも悪しきも何が起こっても不思議ではないと言う年回りで、辛(かのと)は辛いを表わし、卯は目に見えて現れる様を意味していると、今年の年頭に お伝えしました。

3月11日の東日本大震災そして大津波による原発被災は、日本列島を根っこから揺るがし、さらに、先般の超大型台風は、日本の精神の聖地:紀伊半島「熊野」に、甚大な被害をもたらしました。いずれも海と山からの未曾有の大津波によって、人間が想定内と勝手にしていたことに対する、大自然からの現れであったと言えます。

祈っていた神々はいずこへ?

目の当たりに一瞬にして生死が分れ、多くの尊い命が失われました。熊野三山でも神社仏閣に土砂が流れ込み、神も仏も無いものか?と思える程の被害が出ています。

しかし、数日後の穏やかに抜けるような青い空を見ていると、ひょっとして私たちが祈っていたものは、何だったか?・・人間にとって恵みをもたらす都合の良い神々だったのではなかったか?と、疑問をすら抱きます。

大自然は、ただありのままに生々流転しているだけなので、そこに善悪や清濁、幸も不幸も、良否も可否もないのだと思えてきます。

根っこを生やそう・・・!

今回の自然災害に共通することは、古代からの根本的な智慧が失われ、自然から遊離していたことです。自然に対抗する考え方、自然を利害に利用する考え方、自然を自由に操ろうとする考え方など・・・私達の文明が利便性を最優先し、しっかりと大地に、根を張って生きていなかったことや、死を嫌い遠ざけてきた視点にこそ落とし穴があったと言えないでしょうか?

地球上を我が物顔で繁殖している私たちを基準にすると、地球全体の生きる姿や、バクテリアの生きる姿は見えません。今一度、生命の共生にしっかりと根っこを生やしていきたいものです。

NPO法人 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?