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いつかの自分に届いたら

ついこの前産んだと思っていた赤ちゃんが、気づいたら11か月になっていた。もうすぐで1歳になる。はやい。はやすぎる。子どもの成長はあっという間だと巷の噂で聞いていたけれど、まさかここまでとは思わなかった。

子どもと一緒に過ごす中で、ほぼ毎日思うことがある。「忘れたくないな」と「忘れちゃうんだろうな」。そのふたつを、いつも行ったり来たりしている。ふくふくほっぺ、いい香り、あどけない声、抱きしめたときのぬくもり。忘れたくないけど、すべては覚えていられないんだろう。

これから先、子どもが成長していくなかで、苦しいことや悲しいことがいっぱいあるかもしれない。かもしれないというか、あるだろう。それは絶対に。どんなジャンルの苦しみかはわからないけれど、なにかしらはあるだろう。

うるせえとか、しねとか、産んでくれなんて頼んでないとか、言われる日が来るかもしれない。そんな言葉を言わせる環境をわたしが与えてしまったのだと、自分を責める日が来るかもしれない。

そうなったとき、もしかしたら、もしかしたら。いま確かにあるこの日々が、未来のわたしを支えてくれるかもしれないなって。下を向きそうになったとき、心に微かな光を灯してくれるかもしれないなぁって、ほんの少しだけ期待している。

産まれたときは寝返りもできなかったちいさな赤ちゃんが、少しずつ大きくなって、いまはよちよちの頼りない足取りで、一生懸命わたしのほうに向かってくる。ぱあ! と花が咲いたような笑顔で、よちよち、よろよろ、小さなあんよで一歩ずつ。そうしてわたしに手が届くまで近づいて、最後はどーんとわたしの胸に飛び込んで、顔を上げてまた笑う。ぎゅうと抱きしめてキスをすると、あうあう、だあだあ、楽しそうな幼い声。

ああ、いまのこの瞬間を、目に焼き付けておきたいよ。ほんのカケラも取りこぼさずに、すべて覚えていられたらいいのに。だけど新しく重ねていく日々のなかで、下のほうにあるものはどんどん記憶から薄れていく。だからここに書いている。いつか、もうだめかもしれないと思ったときに、当時の記憶を思い出して、そうだわたしはこの子がだいすきだった、こんなに宝物なのだったと思えたらいいなと。そう期待して、ここに残す。

未来のわたし、こんにちは。ぼうやは今日も元気です。わたしを見て、おとうさんを見て、うれしそうに笑ってくれます。手を出すとちいさなおててで、ぎゅうと握ってくれますよ。こちょこちょと、追いかけっこが好きな子です。いいにおいで、やわらかくて、抱っこするとしあわせになります。未来のわたしはどうでしょうか。大変でしょうか。想像もつかないけれど、いつかそちらに行きますのでね。どうにかこうにか、踏ん張ってほしいなと思います。このあたたかな気持ちを抱えて、いまのわたしが、そちらに向かいますからね。

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