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ふたつの、みかづき②

パートナーからプロポーズしてもらった日のことを書き留めておこうとおもっただけなのに、どうやらわたしはふたりの出会いから今にいたるまで、すべてを遡ろうとしているらしい。
なにかひとつのことを話そうとすると、はじまりからおわりまですべて語らなければ気が済まないのは、やっぱりわたしの性格なのだろうか。

・・・

わたしが彼女と出会ったのは、父が亡くなった年の、梅雨入りのすこし前のことだった。

その年の春、わたしは2年勤めた職場を辞め、大学院での研究に専念するための準備をしていた。期待と不安を胸に、8回目になる新学期の手続きを済ませるため大学へ行ったその日に、父は旅先で亡くなった。突然のことに慌てふためいたわたしは、とにかく働かねば、と辞めた仕事と同じ業種の就活サイトを開き、そのときたまたま募集が出ていた、実家から電車一本で通える距離のところにある、いまの職場をみつけた。前職とほぼ同じジャンルの仕事で、幼い頃からよく行っていた親しみのある地域だったため、ひとまず履歴書を送った。

父が亡くなったその日から体調を崩していたわたしは、葬儀が終わってもしばらく寝込んでいた。履歴書を送ったことなんてすっかりわすれてぼんやりしていたベッドのなかで、書類が一次選考を通過したことを知った。

そこからあれよあれよという間に試験、面接と続き、気がついたら翌月からの勤務が決定していた。実家は引っ越すことが決まり、なにもかもが新しくなった。

初出勤の日は、どんな1日だったかよく覚えていない。上司が職場の地元で有名な和菓子やさんを教えてくれて、わたしは仏壇に供えるため、父のだいすきだったどらやきを買って帰ったような気がする。

その日、隣の席のひとはやすみだった。わたしと同じ仕事を一緒に担当していて、名前だけは上司から教えてもらったが、それ以外の情報はなにひとつ教えてもらえず、どんな人物なのか皆目見当がつかなかった。そのひとは、わたしが出勤初日にすべきことを手書きのメモで残してくれていた。なんの飾りもないシンプルなブルーのポストイットには、やや右肩あがりのおおきめな文字が独特なバランスで並んでいた。すこしつよそうな、一回りほど年上の女性を想像させるような字だった。この業種に多い、服装や持ち物にあまり気を遣わないタイプの無口なひとだったらどうしよう、いやだな、とおもったのが出会う前の、いちばん最初の印象だった。

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