愛なんか、知らない。 第2章⑪空はこんなに青いのに。
お父さんと並んで歩くなんて、ものすっごい久しぶり。お父さんも、なんか、気まずそうにしてる。
「久しぶりだな」
「そうだね。3か月ぶりだし」
「ちょっと痩せたか? 顔色も悪いぞ」
「うん。文化祭の準備でずっと忙しくて、あんま寝てない」
「そっかそっか。おばあちゃんから、葵が文化祭で頑張ってるって聞いてさ。行ってあげてって言われて」
なんだ。おばあちゃんに言われたから見に来たんだ。
元々、期待してなかったから、失望はしない。そんなもんだろうな、って感じ。
「葵を待ってる間、クラスの子たちが、葵がどんなにすごいかを話してくれたよ」
「へえ、そうなんだ」
「ああ。葵、ちゃんと学校になじめてるんだなあって思って、安心した」
私の知らないところで、私を評価してくれてる人がいるのは嬉しい。でも、お父さんからそんな話を聞いても、全然心動かされないのはなんでだろう。
美術室には、美術部の作品が展示してある。
私の絵は、夏休み中に描いた油絵が1枚。
中央に書かれた四角い箱の中に、膝小僧を抱えてうずくまっている人がいる。その箱は、壊れた時計やおもちゃ、ボロボロになった自転車や破れた家族写真とか、いろんなものと一緒に流されている。モノクロの絵だ。
「……なんか暗いな」
「まあね。お母さんが海外に行っちゃって、お父さんも家を出てっちゃって、おばあちゃんと暮らしはじめたころに描いた絵だから、暗くて当たり前じゃない?」
私の言葉に、お父さんは「っ」と言葉を詰まらせた。
こんなことをお父さんに言うなんて、疲れすぎて、私は壊れちゃってるのかもしれない。
「そうだよな、ごめんな」
お父さんはつぶやくような声で謝る。
カフェでお茶でもしようかと思ったけれど、満席だったから、飲み物をテイクアウトすることにした。
私はカフェラテ、お父さんはアイスコーヒー。大正時代のメイドのカッコをした2年生が、「ご主人様、お買い上げありがとうございます~」と挨拶してくれた。カフェラテは泡に猫の顔が描いてある。
「最近の女子高の文化祭はすごいな。さっき廊下を歩いてたら、イケメンコンテストに出ませんかって声かけられたよ? 女子高生が審査員になって、イケメンを選ぶって。父親部門があるんだってさ」
お父さんは半分感心、半分呆れてる感じだ。
「えっ、お父さん、イケメンってこと……?」
「あのな、自分の父親の顔を全否定するような反応、どうかと思うよ?」
「ごごごめん、お父さんをそんな風に見たことないから」
「そりゃな、理沙と並んでたら見劣りするよな。結婚式ではさんざん、美女と野獣だって言われたしさ」
「そうなんだ」
でも、確かに同世代のお父さんたちに比べると、お父さんは髪は黒いし体型もしゅっとしてるし、カッコいいほうなのかもしれない。アイドル的なカッコよさはないけど。
校舎はどこも人でごった返してるから、外に出ることにした。
「高校の文化祭なのに、すごい人だな」
「家族とか友達とか、男子校からも見に来るみたい」
「まあ、県でもトップクラスの進学校だしな。来年受験する親子連れっぽい人も多いよな」
「うん。私も中学の時、見に来た」
校門のところに立っているアーチを指した。
「あれ、美術部で作ったの。私はミニチュアのほうで手いっぱいだったから、模型しか作れなかったんだけど。毎年、美術部が作るのが伝統なんだって」
「へえ。あれを女の子だけで作ったのか。大作だな」
座るところがなくて、二人で花壇に腰をかけた。
「あれから、理沙から連絡はあったか?」
「ううん、一度もない」
「そっか……」
お父さんはアイスコーヒーの氷をストローでザクザクとつついている。
「お母さんがタイに行く時、空港で大ゲンカしたし」
「おばあちゃんから聞いた。大変だったな。あいつ、ウソばっかついてたんだって? それが会社の人にバレて、悔しがってるだろうなあ」
なんだろう。この他人事感。
「それでな」
お父さんはどう話せばいいのか、迷ってるみたいだ。
「オレたち、離婚することになった」
私は思わず空を見上げた。
ああ。今日は気持ちいいぐらいの青空だ。青い空に真っ白な雲が、ところどころに浮かんでいる。完璧に美しいコントラスト。
こんな完璧な日に、こんな、こんな話を聞かなきゃならないなんて。
「……お母さんと話したの?」
ようやく絞り出した声はかすれていた。
「話したっていうか、LOINでやりとりした」
「LOINで?」
そんな簡単なもんなの? LOINで離婚って。「オレたち離婚しよう」、スタンプで「OK!」みたいな?
私は思わず「ハハ」と乾いた笑いを漏らした。
「まあ、笑えるよな。LOINでそんなやりとりするなんて。何度も電話したけど、出てもらえなくて、しょうがなくてさ」
お父さんは自虐的な笑みを浮かべる。
「もう、オレの声を聴きたくないんだと。オレとのやりとりで時間を使うのもムダだって言われた」
「……」
私はカフェラテを飲む。甘めにしてもらってよかった。なんか、今はこの甘さが助かる感じ。
「それで、家は売ろうと思う。だから、葵も必要な荷物は持って行って欲しい」
「持って行くって」
「おばあちゃん家に。今日、ここに来る前におばあちゃんのところに寄って話はしてきたから」
「……」
まただ。私の意見なんか聞かずに、大事なことを決めちゃうんだね。私はこの先もずっと、おばあちゃんの家で暮らすってこと?
「お母さんの荷物は?」
「処分してくれて構わないって言われたけど、そういうわけにもいかないでしょ。倉庫を借りて入れとこうかなって。葵の荷物も、おばあちゃん家に全部持って行けなかったら、一緒に倉庫に入れとくよ」
なんか、離婚ってこういうもんなの? 荷物の話とか、そういうのより、もっと話すことがある気がするんだけど。
「理沙は、もう葵とは住みたくないって言ってる」
「……」
「それで、オレも、何と言うか、その、高校生の女の子と二人きりで暮らす自信が、どうしてもないって言うか。オレ、帰りが遅いし、週末は起業の準備でバタバタしてるし。女の子の気持ちとか、分からないし。おばあちゃんと一緒に暮らすのが、葵にとって一番ベストだと思うんだよね」
そんなこと、勝手に決めないで。私にとって何がベストなのかは、私が決めるよ。
そんなことを言う気力は、ない。もう、私の知らないところで、全部全部決まっちゃってたんだ。
「葵だって、オレと暮らすより、おばあちゃんと一緒のほうが楽しいでしょ? 同じ女性同士で話せることもあるだろうし」
「……」
おばあちゃん、お父さんが見に来るって言わなかったのは、こうなるのを分かってたからかな。嬉しい話をするわけでもないのに、「お父さんが見に行くわよ」なんて言えないよね。
それにしても。ホント、こんな最悪なタイミングでこんな話するかなあ。
「せっかくの文化祭なのに」
ぼそっと言うと、「そうだよな、ごめん。こんな時にする話じゃないよな」とお父さんは頭をかく。
「オレさ、元々結婚に向いてなかったんだよ。結婚する気はなかったんだけど、社会人になったらまわりから『いつ結婚するんだ』ってうるさく言われるし、理沙は圧かけて来るし。勢いに飲まれたって言うか。やっぱ結婚すべきじゃなかったな。オレには結婚して家族を持つのは向いてないって、つくづく思う」
「そんな言い方、したらさ」
私はカフェラテの表面をじっと見つめていた。猫の笑顔はじわじわとコーヒーと混じりながら消えていく。
「まるで、私は望んでないのに生まれた子だって言ってるようなもんじゃない」
「いやっ、そういうつもりじゃなくて。そんなことはなくて、葵が生まれたら、それはそれで嬉しかったし、楽しかったし」
「いいよ、ムリしなくて」
「いや、ホント、ムリじゃなくて」
お父さんはむちゃくちゃ焦ってる。
ああ、そうだよなあ。お父さんはいつもこんな感じで、人を傷つけることを言うんだ。お母さんは、あきらかに私を攻撃するために言うけど、お父さんは自覚してない。悪気は100%ないけど、ジワ~っと嫌な気持ちが広がっていく感じ。
「ごめん、オレ、ホント、父親失格だよな」
反省してるフリ、やめてよ。落ち込んでるフリ、しないでよ。
「いいよ、私だって娘失格だし」
とっさに、そんな嫌味が出たことに自分でも驚いた。
お父さんはうろたえた。
「い、いや、そんなことないよ。葵は立派な娘だよ。理沙が勝手に娘に対抗意識を燃やしてるだけでさ、葵はオレらにはもったいないぐらい、いい子だよ」
でもさ。そんないい子を捨てるんでしょ? 私と暮らす気はないんでしょ? お母さんだけ悪者って感じにしてさ。なんかさ、なんかさ、それってずるくない?
なんて今さら言ったところで、きっと何も変わらない。私は、長い長いため息をついた。
そうか。私、捨てられたんだ、二人に。
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