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愛なんか、知らない。 第8章⑥予期せぬ知らせ

 優がアメリカに帰ってしばらく経ったころ、お父さんから「今月、ボーナスが出たから、お金を振り込んどいた。ちょっとだけだけど」とメッセージが届いた。
 銀行口座を確認すると3万円振り込まれてる。ありがたい。今は教室でしか稼げてないから、数万円でもお金をもらえるとホッとする。
「ありがとう。助かる」とメッセージを送ったら、スタンプが送られてきた。

 たぶん、私に何が起きたのかは、奥さん経由で聞いてるんじゃないかと思う。あの奥さんなら、私のことを調べて圭さんの騒動のことも話してそうだし。
 しばらくお父さんには会ってないけど、たまに「元気か?」と連絡をくれる。

 お父さんは、今、奥さんと別居中だ。
 奥さんのわがままがエスカレートして、つきあいきれなくなってほっといたら、奥さんが怒って結弦君をつれて実家に帰っちゃったって。
「離婚でもいいかも」とつぶやいてたから、もう奥さんへの愛情はなくなってしまったみたい。結弦君への愛情は変わらなくて、スマホの待ち受け画面は結弦君の写真だけど。
 ってか、お父さん、やっぱ結婚に向いてないんじゃ……?

 うちの家族って、結局うまくいってないよね。
 どうしてこうなっちゃうのか。
 なんてことを悶々と考えていた時、信彦さんから電話があった。
「葵ちゃん、落ち着いて聞いてほしい」
 沈んだ声。
 あ、なんか、ヤな予感。
 スマホを持つ手に力が入る。
「純子が倒れた。今、病院にいるんだ」
 

 その後のことはよく覚えていない。
 気づいたら、病院に来ていた。
「実は、一昨日から入院してるんだ。今年に入ってから、体調が悪いってずっと言ってたんだけど、ミニチュアの個展の準備で忙しくて、休めなくて。それで、一昨日倒れてここに運び込まれたんだ」
 ベッドに横たわる純子さんは顔色が悪く、見るからに弱っている感じだ。腕に点滴の管をつけて、今は寝息を立てて眠っている。
 二週間前に会った時は、そんなに具合が悪いって感じじゃなかったのに。私の前では、ムリに振舞ってたのかな。

「私、個展の準備を手伝ってほしいって言われてたんですけど、断っちゃって……。後、イベントの店番も、ずっと手伝えなくて」
「それは関係ないよ。今年は協会の創立10周年ってことでイベントが多くて、純子の業務が増えてたから。それと重なっちゃったから、忙しかっただけで。個展の準備は僕も手伝ってるし、葵ちゃんとは関係ないよ」

 純子さんも信彦さんも、私がミニチュアに触れられなくなったことを知ってる。
 だから、徐々に慣らすためにも手伝ってほしいと純子さんは言ってくれてたんだ。私のことを考えてくれてたのに。こんなことになるなら、ムリにでも手伝っておけばよかった……。

 純子さんの寝顔を見下ろしながら、後悔の念に押しつぶされそうになってると。
「葵ちゃん、あんまり自分を責めないでほしい。純子もそれは望んでないから」
 信彦さんが見透かしたように言う。

「それで、純子から葵ちゃんに頼みたいことがあるって言われてて。こども食堂で子供向けのミニチュアのワークショップをすることになってたんだけど、できそうもないから、葵ちゃんに代わりに講師をやってほしいって、言ってて。どうかな?」
「えっと……」
「急にこんなことを言われても、返事に困るだろうけど」
「ハイ」
「夏休みにワークショップをしようって話だから、まだ時間はあるから、考えておいてほしい」
「……分かりました」

 純子さんは、こんな私にまだ仕事を託そうとしてくれている。その深い優しさに、包み込むような愛情に、胸がいっぱいになる。
「手、握ってもいいですか?」
「ああ、もちろん、もちろんだよ」

 布団から出ている純子さんの手を握った。純子さんの暖かな手。こんなに小さかったっけ? そっとさすった。お願い。純子さん。早くよくなってね。このまま、どうにかなっちゃうなんて、ないよね?
「ごめんな。体調がかなり悪いらしくて、入院してから寝てることが多くて」
「いえ、そんな。いつまで入院を……?」
「今、精密検査をしているところだから、まだ何とも言えないんだ」
「そうですか……」
「でも、大丈夫だよ、きっと」
 信彦さんは肩をポンと叩いてくれる。

「葵ちゃん、心ちゃんが出て行ったりで、大変な時期に申し訳ないね」
「そんなこと……」
「よかったら、うちに来る? 今、娘が交代で来て、僕の世話をしてくれてるんだけど。部屋は空いてるから、うちに来ればいいんじゃないかな。一人で一軒家で過ごすのは寂しいだろうし、女の子の一人暮らしは危険だし。純子もずっと心配してたから」
「ありがとうございます。でも、今週は教室があって」
「そっか。ホント、いつでも来てくれていいから」
「ハイ」

 信彦さんの目は真っ赤だ。きっと寝不足なんだろう。純子さんと、ホントに仲がいいもんね。
 眠っている純子さんを見つめる信彦さんのまなざし。
 そんな風に、一人の人をずっとまっすぐ、愛おしそうに見つめる人って、いたっけ?
 お母さんとお父さんは、気がついたら仲はよくなかったし。
 圭さんは、そんな瞳で私のことを見てくれたことはなかった。私自身は……どうなんだろう。そもそも、私、圭さんのことをホントに好きだったのかどうかも、今では分からないな。

 私も、そんな風に見つめてもらえる相手と巡り会いたい。そんな人と出会えたら、私もずっと一生、相手のことだけを見つめるんだ。
 たった一人でいいから、そんな人と出会えれば、他には何もいらない。
 たった一人で、いいから。

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