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ダイビングのプロフェッショナルとして3/3章

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【県外出店と体力低下の序章】

 前章で綴った、100名規模のツアーを終えた2006年。

 心身共に充実していた時期ではありましたが、全国的な新規でライセンスを取得される人数は年々減少傾向にありました。

 厳密にいうと大幅な減少ではなく、50代以上の人数は横這い(むしろ微増)でしたが、30代未満の新規ライセンス取得者は現状傾向。

 理由は明確で、日本の人口ピラミッドの構造上に問題があり、「少子高齢化の波がダイビングでもじわじわと押し寄せて来ている」ことにあったと思います。

 他県への店舗展開で候補に上がり、実行に移したのは、かつて何度も足を運んだ「屋久島」になり、「エバーブルー屋久島」が誕生いたしました。

 鹿児島でのダイビングサービスが立ち上がり、熊本との2店舗をマネジメント、お客様応対から新人発掘のリクルートと面談、教育と充実した生活が続く中でしたが、身体の中で異変が現れたのもこの頃だったと思います。

 もともとサッカーで培った体力に対する自負があり「誰にも負けない」「勝つまで戦う」という一風変わったメンタルがありました。

 疲れも、寝れば回復していました。

 そしてある冬、恒例のレスキュートレーニングでビーチから要救助者をレスキューする作法をデモンストレーションをしている際、左ふくらはぎに「パチン」と石をぶつけられたようない感覚が走りました。

 何が起こったか分からず、痛みを我慢しながら講習を続けたのですが、その後病院て診察を受けると、人生初の「肉離れ」の診断を受けたのが、私にとってのプロダイビング生活で怪我と向き合って序章だったのかな?と今振り返ると思います。

 他にもリバーウェーブでは当時、筋肉量があるスタッフが重宝される?という風習があったのか?(自らが作っていた?)腕相撲や相撲で力自慢を競う習慣がありました。

 負け知らずだった私が20代スタッフに挑むも、スピードでも瞬発力でも負けることが増え始めて来たのも2010年頃あたりだったと記憶しています。

 少しずつ体力や筋力の衰えを感じる、四十路を迎えたころはまだまだ「挑戦」時代気持ちでいっぱいでした。

 2011年には熊本城マラソン完走も、その後左膝半月板手術
 
 2013年福岡に「ハイタイドスクーバ大濠」オープン後は、福岡、熊本、屋久島をマネジメントするようになり、多忙さは多岐にも渡りましたが、充実しながららも疲労が抜けにくくなったのもこの頃だったと思います。

【県外出店と体力低下の序章からの学び】
・体力に頼って無茶をした時ほど、ストレッチなど身体のケアは必要

・勝ち負けにこだわるのはある一定の年齢までは必要な事だが、その場所にい続けるよりも年齢に応じたステージへ自らシフトを変えて行く勇気も持つこと

【挑戦から挑践への変化】

2014年
厄が晴れたこの年、代表取締役社長に就任させて頂きました。

もともと上昇思考にあった私にとって肩書きを拝命いただけることは、目標であり目的でした。

「肩書きが人を育てる」

会社を大きくする事で、自分のやりたい事を叶えていく!

そう考えて居ました。

しかしそこからが、私の勘違いの始まりであったと思います。

肩書きが人を育てる??

会社には色々な人が居ます。

海がとにかく好きな人
ダイビングがとにかく好きな人
自分の時間を大切にしたい人
家族との時間を大切にしたい人
好きで携わっている訳でなく、必然的に携わらざる得なくなった人
人と接する為の場所にしたい人

 働く人が居るほど、その分だけ思想は増えます。

 私の中では一つのゴール(会社を大きく成長させていく)に向かって邁進していけば、必ず皆が同じ方向を向き、結果happyになれる!

そう信じて居ました。

 しかし、それは簡単な事ではありませんでした。

 会社には「経営」「現場」「内方」がありその3方が如何に消費者(お客様)と調和する事で成り立って行くものであると思います。

 お客様に如何に楽しんで貰い、その対価として会社にお金が入り、その結果経営が円滑に進み組織が成長して行く

 そう信じて取り組んでいたつもりでしたが、組織が大きくなるほど、色々な思想が出て来てそこをまとめることができる、リーダーシップ力が必要なのですが、私にはそれが欠けて居たと思います。

 2016年4月、会社設立20周年の年に遭遇した熊本地震を経て生まれた心境変化

 4月6日、今までに経験した事の無い揺れに見舞われ、その後も海面にいるような、断続的な揺れが続き、その後生活は一変してしまいました。



 これまでは普通に生活していれば、その生活は永続して行くと思っていました。しかしこの地震を経験した事で「これからは何が起きてもおかしくない」時代が来る

 だからこそ、「自分のやりたい事に向かって進んでいける人生にしたい」

 そのような思いが芽生えました。



 しかし、今の責務を全うしながら、具体的に何に取り組んだら自分は幸せになれるのか?

 この頃はよくわかっておらず、霞の中を進んで行く時代が続きます。

 さらに長年酷使続けた、膝や腰は限界の寸前まで来ており、このままでは心身共にバランス取れない状態になりつつありました。

 そこで出て来た言葉が「挑戦」ではなく「挑践」だったのです。

 起こる出来事に対して戦いを挑まない

 戦えば、勝ち負けが発生して、敗者には悔しさや遺恨が残ってしまう

 実践してみることに挑む

 興味を持ったことや、好きだと思うことをまず「やってみる」「チャレンジしてみる」

 決して否定から入らずに、まずやってみよう

そう考えるようになってきました。

 ダイビングのプロフェッショナルとして、この考え方を抱けるようになってからは安全に取り組むのはもちろんのこと、どのようなお客様が来られても、穏やかに取組めるようになりました。

 それも、「挑践」という言葉に出会えたから
だと思います。



【挑戦から挑践への変化】からの学び
・身体が思い通りに動く時や、迷いがない時は「挑戦」すべきだと思う
・自分がやりたい事を見つけた際は、戦いに挑まず、実践を繰り返す姿を見せるべき

【集の時代から個の時代へ】


2020年
ウィルスという形見えない生き物に、世界的な影響を受け、働き方や生活の仕方は激変していきます。

もともと、私達が取り組んでいたダイビングプロフェッショナルな行動とは

「如何にダイビングを楽しみに来られる方と近しくいることができるか?」

 その為に取り組んできた事
・熊本市内からダイビングポイントまで送迎
・ダイビング仲間が増えるように食事イベントやスポーツイベントを開催
・いつでも気軽に遊びにきてもらえるようなお店作り

如何にお客様密接で密着になれるように取り組んでいたことへの方法論を改良しなければならない状況となりました。

 そこで取り組んだ事が「ソロの集まり」を作ることでした。

 私達には、「妙見浦」というホームゲレンデと言えるダイビングポイントがあります。

 集まれる場所を整備して、少しでも快適にしていくことで「個」の集まりを作る事ができる

 そう信じ妙見浦を整地して、草を刈り花木を植えたのが今年の4月の事です。



 最初は往復5時間を自身で運転してダイビングをしに来られることに戸惑いを見せていた、お客様にも、少しずつ変化が現れました。

 キャンプをした事が無いお客様は、コンビニで買い出ししてきたものを温めて食べ、車中に毛布持参だった方が、ソロテントを購入してテント泊に変わり、日帰りのお客様も帰りに好きな観光スポットへ立ち寄りながら1日を楽しむ!



 今年になって新しい様式なダイビングスタイルへ変わって行きましたが、それも個の動きを早めに取り組めたからこそ、実行へのスピードが早まり実現できたのではないか?

そう思います。

最後に大好きな妙見浦でプロとしての一幕を終える事が出来て本当によかった!


【集の時代から個の時代へ】からの学び
・集の力は大きいが、判断や行動が鈍くなる
・個の力は小さいが、思いや行動が伴えば想いを共有する事ができ強固な個の集団を作る事ができる

ここまで長々と書き綴りましたが、読んでくださった方

誠にありがとうございました。

私のダイビングのプロ生活の第一ステージの振り返りは以上です。

これからまた新たなる挑践へ取り組みますので応援して頂ける方は「スキ」「フォロー」していただけるととても嬉しいです!








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