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ダイビングの仕事をしようと思ったきっかけ②

前回の内容はこちらから

1997年春
ダイビングを始めて半年が経過した頃50本位潜った頃であろうか?
やっと「中性浮力」のコツが掴め水中へ潜るストレスが無くなって楽しくてしょうがない頃、私のライフサイクルはこのようになっていた。

①NTTでの仕事②サッカー③ダイビング

寝る時間以外はこの3つの事に取り組む中で①②の時間の空きさえ有ればとにかく天草へ潜りに行くようになりました。

サッカーを10歳から続けて16年

不器用な私でもサッカーのおかげで大学まで進学し、実業団で全国大会出場やJリーガーになる夢まで後少し、1999年熊本国体までは現役でサッカーを続けて行こうと目標設定していた私にとってサッカーを続けて行くか?ダイビングを本気で続けて行くかを悩み始めていました。

そして1997年7月初めて訪れた西表島で見た水中風景「波照間サンドガーデン」


この透明度50mの世界を泳いだ後、星空を見ながらダイビングの先輩と話した事で私の中で決心が固まりました。

「来年の春からプロとしてダイビングの仕事で生きていく」

そう決断し転職する為の準備を始めました。
上司、監督、川浪さん、そして両親。誰もが反対でした。
そこでダイビングを仕事としていく事で将来の自分の在り方をまとめたのが「フューチャリングシート」です。


このシートを使い全てのキーマンへ夢を語り、決断した気持ちを伝え、1997年12月会社へ辞表を提出し、1998年3月日本電信電話株式会社退職とNTT九州サッカー部退団し、4月から「有限会社リバーウェーブ」「ブルーアース21くまなん」のダイビングスタッフとしての生活が始まったのです。

※1997年ブルーアース21くまなんスタッフ

長々と読んでいただきありがとうございます。
次回は「ダイビングインストラクターとして」を綴ります。


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