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鑑賞供養

君逝きて名残りの海に現れし色とりどりの涅槃図の端
(きみゆきて なごりのうみに あらわれし いろとりどりの ねはんずのはし)

曽田文子さんが亡くなった。絵本作家で、長らく新潟県柏崎市で暮らしておられたが、晩年に体調を崩されて、故郷である愛媛県松山市へ移られた。妻が親しくさせて頂いていた縁で何度かお目にかかった。

初めてお目にかかったのが2012年11月で、最後にお会いしたのは2016年11月、最後にお話ししたのは2017年11月だった。11月ばかりなのは、妻の友人夫妻がご主人の転勤を機に柏崎から千葉県外房に引っ越し、そこで毎年11月にホームパーティを開いて集まるからだ。そのご主人がワイン好きなので、ボージョレー・ヌーボーの解禁を口実にした会なのである。

たまたま私の誕生月が11月なので、2013年からは柏崎から参加する曽田さんと加藤さんが、私のバースデーケーキとして柏崎にあるエーム・ニシヤマという洋菓子店のシブーストを用意してくださるのである。ちゃんと「おたんじょうびおめでとう」と書かれたホワイトチョコの板が乗っていて、大量のローソクも添えてある。それが、曽田さんも加藤さんも妙齢なので、曽田さんは2017年は電話でのご参加で、加藤さんも2018年から電話参加となった。それでもシブーストはクール便で送られてきた。曽田さんは2018年に松山へ移られたので、2017年の会が最後になった。私は下戸なので、ワインの方は各種少量ご相伴に預かるだけだが、シブーストはしっかりと頂くのである。

曽田さんは、作家であると同時に、ご自宅の土蔵をギャラリーに改装してクリエイターの作品発表の場の運営もされていた。そのギャラリーは「十三代長兵衛」という名で、地元では随分愛されたようだ。ギャラリーとしての運営は2004年4月から2015年10月までの約10年間だったが、ここを作品発表の場として大きく位置付けていたクリエイターもいたと聞いている。

曽田さんが亡くなったとの知らせを受け、我が家の玄関に曽田さんの作品と、曽田さんが松山へ移られた時に頂いた便りを飾る。故人を偲ぶということでもあり、これから寒くなるので暖色を飾るということでもある。自分もそう遠くないうちに彼方へ行く。この世の知り合いが一人減ってあの世の知り合いが一人増える勘定になる。寂しいような、楽しみなような、不思議な気分だ。ご冥福をお祈りする。


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