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蛇足 『アイヌ神謡集』

けっこう長いこと国立民族学博物館や日本民藝館の友の会に入っているので、アイヌについての講演会を聴いたり展示を観たりする機会は一般の市井の人よりは僅かばかり多いと思う。アイヌの木彫のワークショップにも出席したことがあり、その時作った鱗紋の小皿は鍵とか腕時計とか宅配便などの受け取りに使うゴム印を置くのに使っている。本書を読んで思い出した講演会があり、押し入れを探したところそのレジメが出てきたので少し触れておく。

講演は国立民族学博物館友の会の第99回東京講演会。講師の肩書きは当時のもの。
題:アイヌ文化への憧憬あこがれ
講師:佐々木史郎(国立民族学博物館民族文化研究部教授、副館長)
日時:2011年9月24日土曜日 14:00-15:00(講演終了後約1時間懇談会)
会場:江戸東京博物館 学習室
佐々木先生は現在、国立アイヌ民族博物館館長だ。本講演は江戸東京博物館が会場だが、単に場所を借りただけで江戸博の企画展等との関連はない。大阪の民族学博物館で2011年10月6日から12月6日にかけて開催された特別展「千島・樺太・北海道 アイヌのくらし」の関連講演会として東京で開催されたもの。佐々木先生は同展の実行委員長で開催に先立って東京での宣伝も兼ねての講演だった。同展の「みどころ」として先生は以下のように述べている。

百年前のアイヌの人々の生活用具を数多く展示しますが、ぜひみなさんにみていただきたいのは、それぞれの生活用具にみられる工芸技術の高さです。それらを生みだした工芸技術からうかがえる彼らの美意識の高さを感じてもらえればと思います。
国立民族学博物館友の会ニュース No. 201  2011.9-10 発行日 2011年9月1日

しかし、私の記憶に残ったのはアイヌの工芸品のことよりも、18世紀から20世紀初頭にかけてヨーロッパでアイヌに対する関心が高まったという現象についてであった。アイヌ生活圏は理想郷であり、そのアイヌに迫害を加える日本に対して厳しい眼が向けられたのだという。

どこまで時代を遡るべきかわからないが、ヨーロッパでアジアに対する関心のきっかけになったものの一つがマルコ・ポーロの『東方見聞録』であったというのは誤りではないだろう。マルコ・ポーロはユーラシア大陸を陸路アジアへ向かい、中国からは海路で帰国するという約四半世紀をかけた旅行を行ったとされている。それが13世紀のこと。その旅行について口述したものが『東方見聞録』で、その中で中国で聞いた話として「黄金の国、ジパング」について触れられているらしい。『東方見物録』が最初はどのような形で出版されたのかは定かでないが、活字版の最初は1477年出版のドイツ語版らしい。その後、ヨーロッパでは大航海時代を迎え、世界に対する関心が高まる中で「黄金の国」への興味も当然に高まったであろう。東へ東へと行った先の海の向こうに黄金の国があるらしい、というとなんとなく理想郷の存在という妄想が掻き立てられるのは無理のないことだ。

実際に日本にヨーロッパからの船がやってくるようになるのは16世紀あたりからだ。この背景にヨーロッパでの宗教改革がある。カトリック教会に対する批判勢力が拡大する15世紀あたりからカトリック教会の腐敗堕落に対する批判が強くなる。そうしたカトリック刷新あるいは改革運動は、16世紀にマルチン・ルターの登場で加速する。カトリック側はプロテスタントに対抗するべく、大航海で「発見」された地域への布教活動によって信者獲得に走り、信者の数と地理的広がりによって権威維持を図るのである。日本にやって来たヨーロッパ人として教科書に登場するフランシスコ・ザビエルはイエズス会の宣教師。つまりカトリックの対外宣伝部隊兼信者獲得部隊である。

ヨーロッパの権力闘争の場外乱闘編と大航海が重なったのが偶然なのか相互に関連してのことなのか、私は知らない。当然、ヨーロッパではアジアに関する知見が蓄積される。蓄積されれば「黄金の国」がどこを探してもないという情報も蓄積に加わる。さらにヨーロッパからの来訪者の足跡がアジア各地に広がる中で日本列島の北方に色白で顔の彫りが深く毛深い、一見したところコーカソイド(白人)のような人々がいることも「発見」される。コーカソイドも元は狩猟民である。アイヌも狩猟採集社会を営んでいる。ヨーロッパの航海者・聖職者・商人・その他にしてみれば「!」ということになる。

人は自己中心的にできている。ヨーロッパの人々にしてみれば、実は自分達が知らないところで自分達の先祖が東方進出を図り、その残党が極東の端に孤立して残留してしまったのかもしれない、との空想が湧く。つまり、アイヌはコーカソイドと誤解されたのである。また、アイヌの存在がヨーロッパの人々に広く知られるようになったのは大航海から200年ほど下った18世紀頃であった。偶然かどうか知らないが、時はヨーロッパにおける啓蒙時代。ヨーロッパの人々にしてみれば、自分達は長年の権力闘争ですっかりスレてしまったが、「本来の自分達の姿」である「高貴なる野蛮人(noble savages)」が辺境に残留していて、それがアイヌだ、ということになったらしい。啓蒙思想では既存の政治体制に理想を求めるのではなく、理念形としての国家を想定した。その際に人間の本来の姿、文明に毒される以前の原始的な姿を「自然状態」と仮定したのである。アイヌはその「自然状態」に近いもので啓蒙思想を裏打ちするのに好都合な存在でもあった。

さらに時代が下って19世紀のヨーロッパでは産業革命を迎え、科学技術が大いに発展する。いよいよ世界の往来は活発になり、アイヌの文物もヨーロッパの人々の収集や研究の対象になる。1860年のパリ万博には徳川幕府も日本館を設けたが、そこでのアイヌ関連の展示は人気を博したという。

ところが、20世紀に入るとヨーロッパでのアイヌ人気は突然のように終息してしまう。科学技術の発展には医学や生理学の発展も当然に含まれる。アイヌの人々がコーカソイドではなくモンゴロイド(アジア人)であることも科学的に明らかになったのである。そうなると、コーカソイドであることを前提に盛り上がった妄想は全て否定されてしまう。戦後しばらくは欧米でのアイヌ研究は全くと言って良いほどに消滅してしまったそうだ。ようやく1980年代に入ってから、ヨーロッパに渡ったとされるアイヌ資料の所在状況調査が始まった。現在の調査・研究では人種的なところを含め、まだまだ解明されていないことが多いのが現状だ。アイヌが文字を持たないため、アイヌ自身の資料が存在しないというのが最大の理由の一つだが、遺伝子や生理的な資料についても、少数民族であるがゆえ、サンプルの絶対数が少なくて統計的合理性が確保できないのだという。

明治以降の同化政策で今や純粋のアイヌは存在しないと言える状況だ。それでもアイヌの人々は戦後、自らの手で約30年に亘ってアイヌ民族博物館を運営するなど自分達の文化を守り伝える努力を続けてきた。そのアイヌ民族博物館を引き継ぐ形で、北海道初の国立博物館として国立アイヌ民族博物館が2020年7月に開館した。開館時期が感染症騒動に当たってしまい想定していたような来館者数を確保できていないようだが、是非訪れたいと思っている。

歴史を動かす原動力のひとつに不都合な現実の否定と都合良い幻想の追求という側面があると思う。我々は自分自身を知るためにも、否定されていた不都合の方に目を向けなければならないと思うのである。アイヌの工芸品には単に繊細というのではなく、繊細さの向こうに暮らしや信仰と結びついた何かを感じさせる。こういうものと共に生きてきた人々が世界から消えようと、消されようとしている。それは何故なのか。こうした施設が人々にそんな疑問を引き起こすきっかけを与えるものになれば、それだけでも十分な意義があると思う。

ロシアのプーチン大統領が「アイヌはロシアの先住民の一つ」というようなことを言い始めたらしい。本当のことが判然としないことは政治のネタになりやすい。北方四島どころか北海道も含めての国境問題になるかもしれない。そういうことも含めて、日本の国立のアイヌ民族博物館が開館した意義を捉えるべきかもしれない。

余談だが、カトリックとプロテスタントとの勢力争いと大航海と日本へのキリスト教伝来との関わりについては若桑みどりの『クアトロ・ラガッツィ』(集英社文庫)が参考になるかもしれない。


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