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小菅宏 『小松政夫 遺言』 青志社

街で芸能人を見かけることはあまりないのだが、少ない経験では皆それとわかるオーラのようなものを発している気がする。もちろんメディアへの露出で、こちらが視覚情報を持っている所為もあるだろう。しかし、世に出る人というのは、それだけではないと思う。小松政夫をみかけたのは2016年7月17日、芦花公園駅前のバス乗り場だった。杉並公会堂での喬太郎と三三の二人会を聴くのに荻窪行きのバスに乗るとき、彼がバス停で誰かと立ち話をしていた。客をバス停まで送ってきたようで、その客とおぼしき人がバスに乗った。小松政夫はこのあたりに住んでいるんだと思った。それだけのことでこの本に興味を覚えた。

小松は「芸人」と呼ばれることを嫌ったという。喜劇役者であることに拘りがあったというのである。憧れたのは堺駿二とジャック・レモン。堺のほうは知らないが、ジャック・レモンは私も好きで、『アパートの鍵貸します(原題:The Apartment)』は劇場で何度も観て、DVDも持っている。1960年に公開された作品なので、ロードショーではなくて、名画座でのリバイバルだ。今は映画館が少なくなったが、私が学生の頃はちょっとした街には名画座の一つや二つはあった。『アパートの鍵貸します』は荻窪とか新宿で観た記憶がある。公開から20年ほど経っていたが、けっこうあちこちの映画館でやっていた記憶がある。

どのようなものでも創作というのは既存のものを乗り越えないと価値が認められないという厳しさがある。その所為かどうか知らないが、1960年代くらいまでのアメリカ映画は伸び伸びしている印象がある。もちろん、時間は連続しているのだから、当時は当時なりの創作のハードルがあったはずだ。それでも今から見れば、多分創造の余地が大きかったとは思う。ハリウッドの作品だけでなく、テレビ黎明期の日本も、映画や番組の雰囲気が今とは違って素朴に明るい気がする。小松の師匠である植木等がいたクレージーキャッツも然り。

役者としてキャリアを積む中で小松が考えたことは、自分の日常の所作を意識することだという。役者に限らず、なんでもない毎日をきちんと過ごすことが生きるということだと思う。どのような職業であろうと、どのような人生であろうと、人として守るべきはそれしかあるまい。

昨日の日曜日はこの本を読んだ他に、You Tubeでジャズ番組を観た。1995年2月にNHK衛星第2で4夜連続で放送されたものらしい。『タモリのジャズスタジオ』、司会はタモリと大西順子。ゲストは日替わりで毎回複数名、林家こぶ平、景山民夫、糸井重里、細川ふみえ、安部譲二、清水ミチコ、ピーター・バラカン、桑野義信、斉藤晴彦、八木橋修といった面々だ。ジャズに詳しい人もそうでない人もいて、それがまた楽しい。本書では、植木等以外では高倉健と萩原健一に多くのページが割かれているが、タモリについても数ページを使っている。小松はタモリがプロになる前からの知り合いで、互いに刺激を受けたらしい。

本番でのタモリは自分から振った話を他人に強要しない。分かる人が分かり、笑える人が笑うに任せるタイプ。しかし彼の話には必ず「裏」があると知れば、テーマによって発せられる蓄積された知識での話題の時宜と見解の広さが半端でない。それを小松は評価した。キャリアと芸域の違いはあっても小松は己の喜劇を見つめる教唆にしたと語る。(73頁)

若い頃、教養として音楽を好きにならないといけないのではないかと思って、意識してクラッシックとジャズを聴いた時期がある。何年かコンサートやライブハウスに通ってみたりしたが、5年くらいしか続かなかった。記憶に残る演奏は一つや二つはある。しかし、それをきっかにどうこうというふうにはならなかった。

それでも昨日の番組は面白いと思って4夜分(約30分 X 8)一気に観た。4時間一気に観ることができるくらい面白かったということであり、また、ヒマであったとも言える。番組の中で言及されたアルバムの中の何枚かは持っている。そういうものを聴こうと思って聴いていた時代が、今にしてみれば、ちょっと苦い記憶に感じられる。背伸びして何者かになろうとして、結局何者にもなれなかった虚ろな感じと表裏一体の記憶、とでもいうのだろうか。今はただ笑うしかない。

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