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勝俣鎮夫 『一揆』 岩波新書

4月、新学期、新年度。「イッキ、イッキ、イッキ、、、」というのは今はやらないらしい。強要するとハラスメントとかナントカで、マズイことになるというのだ。私は下戸だが、若い時分には決死の思いでやった。あれをやらずに済むというのはいい時代だと思う。「イッキ」というのは私にとっては物騒なものだった。ところで、一揆も物騒だ。

すなわち、一揆とは、のちにのべる「一味神水いちみしんすい」という手続きをとり「一味同心いちみどうしん」という連帯の心性をもつ人びとの集団であったといえる。

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先日読了した笠松宏至の『徳政令』の関連で本書を手にした。「一揆」というのは反乱行為のことを指すのだと思っていたのだが、それ以前の結社を指すらしい。たしかに、自然発生的に暴動のようなものが起こるわけではなく、そこに何かしら組織的な意図や企図があって然るべきだ。暴動に参加して機動隊員や兵士にぶん殴られている当事者がそうした意図や企図を理解した上でそこにいるのかどうかはともかくとして。

中世がどのような時代だったのか知らないが、権力に対して何事かを企てて集団を組織するというのは余程のことだったはずだ。社会全体としての生産性が現在とは比較にならないほど低かった時代に、日々の生活の糧を得ることは現代を生きる人間にとっては想像もつかないような難事であっただろう。日々の暮らしは糧を得るための農作業やら家事やらで忙しく、生産活動以外のことに心を配る余裕はそれほどなかったはずだ。それが一揆を結んで権力に対峙するというのは日々の難事をはるかに上回る難事がそこにあったということだろう。

 ところで、なぜこのような特異な集団をつくることが必要であったかというならば、当時の人びとにとって、その目的が、日常性をこえた問題、通常の手段では解決が不可能であると意識されたからである。その目的を達成しようとする個人個人が、現実の社会的存在のままでは達成することができないと意識されたため、そこに現実のありかたとは異なった、日常性や現実性をこえた特殊な集団を結成することが必要であったのであり、そのために、参加する個々の人びとが現実をこえた存在となることを目的とした作法や儀式が必要であったのである。一揆に参加するメンバーが、その目的達成のためにそれぞれの社会的存在としての諸関係をたちきったところで、はじめて一揆という集団の結成が可能であったのであり、一揆はその目的達成のためにつくられ、その目的のためにのみ機能する非日常的な集団であったといえる。一揆は、ある歴史的状況のもとでは「構造」化することもあったが、本来は目的達成、あるいは挫折によって解消されるのがその本質であって、今日的にいえば「運動」に近い性格をもつものであったといえる。

3-4頁

一揆が登場するのはそれが対峙する社会体制が存在することが前提になる。本書では中世(主に鎌倉時代)を対象に論考が展開されている。「日本の中世は一揆の時代」と呼ばれているのだそうだ。鎌倉幕府の成立という、それまでの日本の歴史にはない新たな社会体制が確立される中で、その確立が一筋縄ではなかったということもあるだろうし、そもそも新しいのだから諸々不安定であったということもあるだろう。

本書で興味を覚えたのは、一揆という特異な集団の結成方法だ。集団を組織して何事か行動を起こすには、その集団としての意思決定が制度化されて構成員の間で共通認識が形成されていなければならない。つまり、集団としての意思統一を図る方法論が必要だ。現実の権力に対抗してまで達成しなければならない目的を共有する集団を形成しようというのだから、集団としてそれ相応の強固な意志があって然るべきであり、構成員間でそれを確認し合うことが集団の結束とその後に続く行動としての一揆の成否にもつながる。

その集団結成の儀式的手続きが「一味神水」であり、それによって「一味同心」という連帯感が醸成されるというのである。「一味」とは共同飲食のことであり、「神水」というのは神に供えられた水を言う。自分たちを超越した存在の前で人々が何事かを誓い合い、その誓いの証として「神水」を儀式的に飲むことを「一味神水」と呼ぶ。時代劇などで「ナントカ一味」という悪人集団が登場するが、その「一味」も本来はそういう強い結束の集団であったのだろう。

現代の神水の例
撮影場所:東京農業大学附属「食と農」の博物館

食を集団で共にするというのは人類の生物としての特徴であるらしい。人類以外の霊長類では個食が原則だ。霊長類の本来の生息域は森のなかで、主食は果実だった。それが、何を思ったのか、人類は他の霊長類から離れて森を後にした。それだけに止まらず、生誕の地であるアフリカ大陸から世界中に拡散した。つまり、流浪の民となった。森を離れてみると生誕以来慣れ親しんできた果実が手に入らない。そこで雑食にならざるを得ず、食の確保には個体間の共同・協働、連携といった他者との高度な意思疎通や戦略策定が不可欠となる。

と、ここまで書いて、ふとアフリカでスイカを主食にして暮らしている人々のことを思い出した。それで先日、昔に書いたものをこのnoteに上げた。夏の夜に大皿に切り分けたスイカを盛って、それを囲んで団欒する風景は容易に思い浮かべることができるのだが、丸のスイカを一人一個ずつ前にして食卓を囲む風景は容易に想像し難い。しかし、そういう民俗があるというところに人間と他の霊長類との接続があるということなのだろう。

ついでに思い出したのだが、人間は食を他者と共同して性を隠匿するが、他の霊長類は個食で乱婚なのだそうだ。このあたりことは以前に読んだ『人間はどこから来たのか、どこへ行くのか』にある霊長類研究家の山極壽一の話が興味深い。尤も、日本では通い婚の時代があって、現実問題として誰が誰の子なのか保証しかねる状況があったらしいので、食と性を種族の特徴として挙げることはナンなんじゃないか。通い婚じゃなくてもそういう保証に躊躇する人もいるだろうし。

何はともあれ、食は生存の基本だ。その生存の基本を無防備な状態で共同して行うところに何がしか大きな意味があるのだろう。確かに、自分個人の経験に鑑みても、人の交際のきっかけとか関係性変遷の要所で共同飲食が行われることが多い気がする。一揆という権力や社会体制への対抗を目指す集団結成に共同飲食は不可欠であることは十分納得がいく。

ところで物事に納得することを「合点がいく」と言うことがあるが、この「合点」も一揆と無縁ではないらしい。一揆集団内での議論や意思決定に際しては、多数決を原則としたというのである。その議決方法を「多分の儀」といい、複数の選択肢に対して賛否を表明する票を投じる際の票を「合点」と呼んだ。それは選択肢を記した紙に賛意を表す点あるいは棒のようなものを記入したことに由来する。多数決自体は一揆だけのものではなく、大規模寺院などでの評議で一般的に行われていたことのようだ。なお、この投票を前に公正を誓うために交わした文書を「起請文」と呼ぶ。起請文も後に約束事一般に対して手交するようになる。

命懸けの案件に関する誓約や意志表明が日常の雑事に拡がることも、飲食という生命に直接関わることへの真剣さの度合いが時代と共に緩くなるのも、人間社会が時代と共に物質的に豊かになったことの裏返しなのだろう。飲み会の「イッキ」は「一気飲み」のことだろうが、その「一気」も「一揆」も一気呵成に事を起こして事態の転換を図るということが根っこのところで共通しているのかもしれない。言葉というものは表記よりも音がモノをいう。

一揆がよろしいというわけではないが、人は集団で暮らすことを前提に歴史を紡いできた。ところが、感染症流行の影響があるとは言いながら、現在の人の在りようが個人単位に細分化され、共同飲食よりも個食あるいは孤食、五感フル稼働の対面よりも言葉やデータだけでの遣り取り、全体を俯瞰しながらのチームプレイよりも目先の表層だけで物事を片付けようとする浅薄な個人技、というような方向に向かっているように見える。今更戻る森もなく、独り立ちできるような気力も身体能力もないというのに。おかげでこの先、「一揆の時代」が再来する懸念は無くなった。その代わり、別のもっと深刻な物騒の気配が大きくなっている、気がする。

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