見出し画像

燕之飛来

燕来て空き家の軒に世帯する
(つばめきて あきやののきに しょたいする)

燕来て空き家の隣巣を移す
(つばめきて あきやのとなり すをうつす)

燕来て世帯構える同じ軒
(つばめきて しょたいかまえる おなじのき)

今年も燕がやって来た。駅前のマンションの通りに面した1階と2階が商店になっている。1階の軒に燕の巣がいくつか並んでいる。そのうち状態の良いのが2つあって、そのどちらかで燕が巣を営む。不思議なもので、ここの並びの巣のうち使われるのは一つだけだ。その状態の良いふたつの巣も同時に使われることはない。しばらく使われないのは自然に朽ちていく。作りかけもある。

その巣の下の商店だが、1階に6店、2階に3店あって、この1年で1階の1店と2階の1店が退店した。1階は市内の別の場所に本店のあるクリーニング店の出張所だった。仕事が丁寧で、いつも利用している店だったので、冬物を仕舞う時期を迎えて困っている。我が家は大概のものは家にあるごくありふれた家庭用洗濯機で洗濯するのだが、どうしても外に頼まないといけないものも少しはある。そこのクリーニング店は受け渡しだけの場所なのだが、店員の知識がしっかりしていて頼りになった。近所にチェーンのクリーニング店は数カ所あるのだが、そういうところにお願いするのは不安だ。これから近所で頼りになるクリーニング店を探さないといけない。

そのクリーニング店の跡はコインランドリーになるそうで、今工事の真っ最中だ。2階の退店は美容室だ。近所の別の美容室と合併して店舗が相手先の方に統合された。写真の巣の下はフラダンス教室だったが、フラダンスだけでは稼働率が不十分のようで、昨年からは同じ場所が公文の教室にも使われている。

この写真だが、これだけ見るとこの燕は背後の巣で暮らそうとしているように見える。しかし、こちらの巣は空き家で、この右の奥にある巣で暮らしている。巣の方では卵を抱いているようで、写真に映っている燕は監視役らしい。昔から燕は時期になるとこうして人里で営巣している身近な鳥だが、和歌の方では見向きもされなかった。同じ渡鳥でも和歌で好まれたのは雁だそうだ。

仏教思想の影響下にあった中世の人たちから見れば、雁は北方を故郷として禁欲的に見えるし、死者の霊魂の象徴のようにも思えるが、燕は虫を食べて殺生をする上に、人家に土で営巣して子煩悩だし、寒くなれば虫を求めて南へ渡るので、いかにも現実的で下品に見えたのであろう。
(167ページ『新日本大歳事記 春』講談社)

俳諧の方では燕の庶民的なところが好まれ、春の季語になったという。私は燕が好きだ。そのことは以前にもこのnoteに書いた。やがて雛が生まれる。5月の連休の頃は、子育ての真っ最中で雛に餌を運ぶ親燕が盛んに飛び回る。

鳥の世界は面白い。今の住まいの周辺にはたくさんの種類の鳥がいる。今まで暮らしたどこよりも多くの鳥の姿を目にする。その多様な鳥たちは、個々には縄張り争いのようなことをしながらも、全体としてはそれぞれの集団に分かれ、それぞれの分を守って暮らしているように見える。鳥は境目のない空中で行動するので、地上で生活する我々とは違っておおらかなのだろうと思っていた。ところが、ある時、飼われていたのが脱走したのか飼い主が飼育できないことになって放したのが繁殖したのか、鮮やかな緑色の比較的大型のインコのような鳥が複数飛来した。その時の地元の鳥たちの騒ぎようは尋常ではなく、その緑のインコを取り巻くような陣形を作った。インコの方は気にする様子もなく、落ち着いたものだった。程なくしてインコがどこかへ飛び去り、鳥たちの様子も元に戻った。種々雑多に入り混じって生活しているように見えて、相応の秩序があるのだと改めて知った。燕は渡鳥だが、彼等が飛来したからといって空が騒がしくなるようなことはない。人間から見れば鳥は鳥なのだが、鳥の間ではいろいろ区別があるのだろう。尤も、それは人間の側も同じことだ。

感染症騒動があろうとなかろうと時期が来ればこうして燕がやって来る。燕は地上の騒動がわかるだろうか。それとも、空から眺めれば、地上で感じているほどの変化は感じられないのだろうか。その地上の事情だが、昨日こんな記事が出ていた。

フォーブスは4月6日、今年で35回目となる毎年恒例の「世界長者番付」を発表した。新型コロナウイルスのパンデミックが経済大国を含め各国に多大な影響を及ぼすなか、ビリオネア(保有資産10億ドル以上)の数は過去最多を更新。2755人となった。うち493人が初のリスト入りとなっている。
今年の番付に入った富豪たちが保有する資産は、合計およそ13兆1000億ドル(約1445兆円)。昨年の約8兆ドルから大幅に増加した。フォーブスのアシスタント・マネージング・エディター(富裕層担当)、ケリー・A・ドーランはこれらビリオネアたちが保有する富について、「資産の合計額が初めて10兆ドルに達した」ことを指摘。「巨額の富が生み出されてきたペースの速さに驚かされる」と述べている。

先日、このnoteに昨年は自分の勤め先の業績が好調で臨時に配当を行なったと書いた。世間では感染症騒動の中で職を失った、というような話ばかりが喧伝されている印象があるが、やはりそれは一面に過ぎないことがよくわかる。しかし、世の中のネガティブな状況に過敏に影響を受ける人々が多数派を占め、逆にそういう状況で肥え太り影響力が増大する側との様々な格差が拡大を続けるということになると、世界の秩序はどうなるのだろう。その格差拡大の限界点のようなところを、燕は空で感じるのだろうか。

読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。