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藁あります

病室の窓から拝む初日の出

昨年までは若松に水引を結んだだけのものを、松の内の間、玄関に飾った。水引を昨年使いはたしたこともあり、年末近くに母が交通事故に遭って入院したこともあり、少し強めの厄払いを意識して玄関飾りを大胆にした。

12月30日の仕事納めの帰り道、東京駅前にある中央郵便局だったビルに寄る。途中、花屋があったので覗いてみたのだが、玄関飾りになりそうなものはなかった。あてがあったわけではないのだが、なんとなくKITTEに向かった。一階から上へ順々に店を覗いていくと、四階の中川政七商店の店先に玄関飾りになりそうな注連縄がぶら下がっていた。「おっ」と思った。それをたまたま近くにいた店員に感づかれたらしく、話しかけられてしまった。そこですっと離れてしまえばよかったのかもしれないが、どちらかというと店員と話をするのが好きな質なので、自然な流れとして買うことになった。

つまり、厄除け云々は買ってしまった後の理由付けだ。ちなみに、母は12月24日に国際興業の路線バスと衝突した。バスの直前直後の横断が危険であることは一般常識だが、85年も生きていると世界が自分を中心に動いていると思い込むようになるのだろう。また、それを他人は快く思わず、例えばストレス過多の路線バスの運転手が、BBAの自転車に天誅をくらわしてやれ、と思ったとしても不思議はあまりない。

そんなわけで、2022年の最後の一週間はかなりバタバタしたが、とりあえず状況が小康を得た。搬送先の病院の感染症対策で面会はできないのだが、主治医と電話で話したところ
「見た目の割にお元気ですよ」
とのことで、容態の悪化がなければ、検査の上、明日退院ということになった。「見た目の割に」というのは、頭をバス前面に打ちつけた所為で左頬骨を骨折し顔が腫れているという意味だ。事故当日、短時間ではあるが面会できたので、そこはこちらも把握している。そういう上での会話である。

その注連縄は注連縄キットで、藁、稲穗、針金、板、紐などがセットになっていて、付属の説明書を見ながら組み立てるようになっている。板に何か書くようになっているのだが、最初「蘇民将来」と書こうかなと、マジになってしまった。思い直して、単純に「寿」にしようと思い、家人に
「ねえ、ここんとこコトブキでいいよね?」
と声をかけたら、
「画数の多いほうの字でね」
と言われたので、見出し写真のようになった。「墨で」とも言われたが、一文字のために墨をするようなおっとりした暮らしではないので、筆ペンで書いた。

キットに入っていた板はカマボコ用のものである気がする

それで、キットに入っていた藁が一掴みほど余っている。どうしょう、藁。

ちなみに、事故に遭うような時は、他の低確率の事象にも遭遇するものなのだが、年末ジャンボは20枚手にしたうち6等1本と7等1本だった。これはどう受け止めたら良いのだろう。つまり、6等3,000円を「高額」と認識すべきか否かという大問題に直面しているのである。

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