見出し画像

疎開考 『終戦日記一九四五』

戦争は決められた戦場で軍隊同士だけが国際法の下に戦う、というものではない。当事者に何か実現したいことがあって、その交渉の一つとして相手方に対して武力行使をするというのが戦争だ。いきなり相手の首領をナニすれば、たくさんの人命や武器弾薬を消費蕩尽しなくとも話は済むのかもしれないが、交渉という建前があるので交渉相手をいきなりナニすると交渉そのものが成り立たない。話し合いで、交渉で、何事かを決するという姿勢を示すことで、交渉によって決まったことの或る程度の安定性とか合意が確保されるのだろう。しかし、第一次世界大戦で大量殺戮兵器が登場すると、そういう綺麗事が成り立たなくなった。戦争は戦場だけのことではなくなり、「銃後」という言葉が死語になり、総力戦になった。技術革新で、使う武器は高精度で高破壊力のものになった。もちろん、先端技術の開発や展開には莫大な費用を要する。それでも、その高性能の兵器をホイホイ使い、相手を圧倒したとしても、肝心の目的が達せられなければ単なる消費蕩尽だ。もともとは何か欲するところがあって始めたことなので、その欲するものまで破壊すると何のための戦争なのだかわからなくなる。

戦争は相手のあることだ。現実には近代戦において一方的に相手を圧倒することはないだろう。結果として、紛争は泥沼化する。実質的に目的が消えて戦争のために戦争をするようになる。憎悪が憎悪を呼ぶ。一旦は停戦や終戦になっても、それで落ち着くかどうかはわからない。恩義は忘れても憎悪は消えない。人間だもの。

本書の中で、ケストナーは宣伝省の映画撮影隊に同行してチロル地方へ行く。チロルは現在のオーストリア西部とイタリア北部に跨る山岳地域だ。牧畜はできても農業には向かず、ましてや工業にも不便だ。だからこそ、戦時に疎開先になった。疎開先で宣伝省が制作する映画は何を訴えるものなのだろうか。

1945年3月のドイツで、軍人は映画を観る余裕などあるはずは無いだろうし、戦場になっていたり空襲に晒されている都市に映画館が残っているとは思えないし、たとえ残っていたとしても電気その他のインフラが機能していないだろう。とすると、上映するのは人々が疎開している先ということになる。疎開して、疎開先の地元民から疎んじられ、兵隊に取られずに残った身内や友人知人の消息も知れず、先の見えない不安に苛まれている人々に観せようという映画はどのようなものなのだろう。

ケストナーが滞在していたチロルの村、マイヤーホーフェンはこんな感じだったらしい。

村を通る一般人もいたが、もちろん反対方向をめざしていた。荷物を持ったイタリアやセルボクロアチアの「外国人労働者」だった。故郷へ帰るつもりだ。ウラソフの参謀、ドイツ兵、イタリア人労働者、腕章を巻いたチロル解放兵士、イラクサをつむベルリン人、散歩をするブダペストの上流紳士。じつに国際色豊かだ。乳母車で赤ん坊を連れ歩くマリカ・レックもいたし、レニ・リーフェンシュタールもキッツピューエルカラやってきた。

176-177頁

マリカ・レックはハンガリーの女優で、宣伝映画にも出演していた。レニ・リーフェンシュタールは、たぶん、説明不要だろう。

2009年に渋谷の小さな映画館で『意志の勝利(原題:Triumph des Willens)』を観た。ナチスが政権を掌握した翌年にニュルンベルクで開催されたナチス党大会の模様を撮影した宣伝映画だ。しかし、「宣伝映画」という語感を遥かに超越した映像作品だ。この後、リーフェンシュタールはベルリンオリンピックの記録作品である『オリンピア(民族の祭典/美の祭典)』を撮り、これも高い評価を得る。そのリーフェンシュタールが戦争末期のチロルで何かを撮っていたとしたら、それも気になるところだ。ただ、本書の記述によれば、彼女は映画の撮影のためにマイヤーホーフェンに滞在していたのではなく、本当に疎開だったようだ。

この手の作品はドイツでは今でも上映禁止だそうだ

ケストナーの撮影隊のほうは、フィルムがほとんど無くなり、空のカメラを回して撮影している風を装っていたという。居候として居づらい雰囲気だったので、具体的な撮影作業がなくても、何か仕事をしているふりをしないわけにはいかなかった。

疎開するのは銃後の人々だけではない。軍事施設や軍需工場も疎開する。チロルではないが、ウィーンの郊外にSeegrotteという欧州最大の地底湖がある。戦時中はこの一画を戦闘機工場としていた。生産したのはHe-162だ。 He-162は当時最新のジェット戦闘機でドイツの劣勢挽回の切り札とされたが、1944年9月仕様内示、1944年12月初飛行、1945年1月量産開始、実験部隊への配備開始、1945年2月実戦配備開始という超強行日程で展開された戦闘機だ。その組立工場なので、工場としての稼働も戦争末期に大慌てで立ち上がったということになる。そんな状況で生産された戦闘機で戦況が変わるはずもなく、周知の通りの結果となった。

Seegrotteの絵葉書
同上
同上
同上
同上

ついでながら、身近にも戦争中の地下工場跡がある。先のWBCで活躍したラーズ・ヌートバーの母親の出身地である埼玉県東松山市に隣接する比企郡吉見町に「吉見百穴」と呼ばれる古墳時代の末期に造られた横穴墓の遺跡がある。この地下に戦争中に建設された中島飛行機の地下工場跡がある。

吉見百穴
吉見百穴の一画にある地下軍需工場跡地の入口

疎開をしなければならない状況になったら、すでに状況は決しているということだろう。それなら、何故、疎開するのか、ということになる。核シェルターなんてことも耳にすることがあるが、そんなものが果たして機能するのか。たとえ数週間はそこで耐えたとして、そんなものへ避難しなければならなくなった後に人が生活を営むことのできる環境になっているのか。考えなくてもわかりそうなものだ。疎開、あるいは疎開を余儀なくされる状況というのは、人類の叡智を結集した我慢大会ということか。結局のところ、我々は何をしたいのだろう?

読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。