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たまに短歌 暴騰することもある

暴落の次は暴騰その次は
上を向いたら足を掬われ

ぼうらくの つぎはぼうとう そのつぎは
うえをむいたら あしをすくわれ

日経平均株価は昨日、過去最大の下落幅(4,451円、下落率12.40%)を記録したが、今日は史上最大の上昇幅(3,217円、上昇率10.23%)を記録した。下落率ということでは1987年10月20日の14.90%に次ぐもので、上昇率ということでは2008年10月14日の14.15%、1990年10月5日の13.24%、1949年12月15日の11.29%に次ぐものだ。明日はどうなるのか。

株式市場というのは、本来は経済に対する成長資金を供給するために在る。社会や経済にとって広く便益を成す事業があり、そういうものは当然に大きな資金が必要となる。そうした資金を広く集めるため、出資証券を規格化したものが株式であり、さらに一定の要件を備え、公開市場で流通ができるようにしたものがいわゆる上場株式である。だから、本来は、株券の元になる事業を支える、あるいは事業の将来的な成長に期待するための出資が株式投資というものだ。目先のわずかばかりの値動きをアテにするのではなく、数年、数十年単位で数倍、数十倍のリターンを期する投資であるはずだ。そういうそもそもからすれば、相場が乱高下するはずはないのである。それを、秒速でどうこうというような調子で、自分の懐のためだけにやるのだから、博打場と変わらないことになってしまう。尤も、セコな了見の輩が大勢いるからこそ、私如き無能な人間がこうして定年まで食ってこられたのだから、ありがたい世界であるには違いない。

ふと、万葉集の歌を思い出した。

家にてもたゆたふ命。波の上に浮きてしをれば、奥所おくか知らずも

折口信夫 『口訳万葉集』 岩波現代文庫 下巻 217頁 番号3896

「天平二年十一月、太宰ノ帥大伴ノ旅人、大納言に任ぜられて、都に上る際、伴の人たちが、主人と別れて、海上から都に上った時の歌。十首」のなかの一首だ。折口信夫はこの歌を「思想において優れている」として、万葉集の傑作歌の一つに選んだ。歌では、家にいようが旅の船上にいようが、「奥所」=「将来のこと」はわからない、と言っている。いわゆる無常観というやつだ。似たような世界観を詠んだ歌は他にもある。折口信夫の『口訳万葉集』で付箋を貼ったところを読み返したら以下の二首があった。

生けるもの竟にも死ぬるものにあれば、此世なる間は楽しくをあらな
世の中を何に譬へむ。朝発き、漕ぎにし船の痕もなきがごとし

折口信夫 『口訳万葉集』 岩波現代文庫 上巻 136頁 番号349、351

どの歌も先が見えないことを恐れるのではなく、開き直っているかのように見える。『口訳万葉集』下巻に解説を寄せている俳人の夏石番矢は「たゆたいの不安をもてあます脆弱さよりは、その不安を楽しむ古代人のたくましい健全さがあるし、古来からたゆたう波路の苦楽を数えきれないほど経験してきた島国日本人の世界観が詩として結晶している」と書いている。「日本人」だけのことなのかどうか知らないが、「不安を楽しむたくましい健全さ」は広く人間の健康には必要な精神だろう。株や為替が上がったり下がったりしようが人は揺蕩たゆたいながら生きるようになっている。

先日、競馬場を訪れたことをここに書いたが、競馬ネタでもう一つ思い出したことがある。新卒で入社した証券会社では、入社当時は給料が現金で支給されていた。ボーナスは小切手で支給された。銀行振込になったのは入社の翌年からだった。4月に入社して最初の数ヶ月は研修期間で、中でも4月は丸ごと集合研修に費やされた。月末に近い給料日がたまたま集合研修の最終日だった。まだ陽が高い時間だったが、給料は都内某所にあった研修施設で全員に支給されて研修が終わり、そのまま帰宅となった。流れとして、そのままゾロゾロと駅へ向かって歩いていた、と思ってその集団の中にいた。ところが、その集団は駅には行かず、そのまま駅近くの場外馬券売り場に入って行った。全員がそこに来たとは思えないのだが、けっこうな割合だったと記憶している。その中で、もらったばかりの給料を全て使い果たした奴が何人もいた。とんでもない会社に入ったと思ったのだが、それが株屋の何事かを示唆しているのかもしれない。「たくましい健全さ」の表れなのか、単にバカばっかりだったということなのか。みんなどうしているのかな。

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