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「熟年」考 『「思春期を考える」ことについて』

還暦を過ぎていよいよ店仕舞いだなと思うのだが、一方で、まだ何かあるかもしれないという期待も捨てきれずにいる。それは既に何度か書いた。しかし、本書で「やっぱりそうか、、、」という記述に出会ってしまった。

持ち味をよろこばれて百歳まで現役の芸術家もありうるわけだ。しかし、科学史の教えるところによれば、五十代以後の仕事で真に新しい局面を開いたものはほとんどなく、それどころか、以前のすぐれた仕事を辱めるものが多いということである。もっとも同時代人にはわからない。権威の後光をまとうからである。それに頑固になる。後世になってバレるのだ。科学史家クーンは、「科学の進歩は科学者の死滅によってもたらされた。なぜなら、新しい学説に接して改宗した人は(一家をなしてからは)皆無だからである」と言っている。K教授がドイツ精神病理学者の論文集を一人一点という基準で編まれた時、すべてが四十歳プラスマイナス二、三歳の時に刊行されたことを知って一驚されたという。その人の名とともに記憶されるべき仕事は、もう、われわれの問題にしている四十五歳から六十五歳の間にはなしえなくなっているのである。

本書139頁「「熟年」ということばについてのひとりごと」1982年

まぁ、それでも「ひょっとして」と例外的な何かを期待しないことには、心の支えが心許なくて生きていけないという私の現実もある。かといって、何事か努力していることも無いのだが、目下の心の灯火は67歳にして彫刻家として世に認知されたポンポン(François Pompon, 1855年5月9日 - 1933年5月6日)か。67歳を過ぎてしまったら、95歳の時に30年分の用材を買い付けたという平櫛田中の意気に縋るか。

ちなみに、4年前までは57歳を過ぎてようやく売れ出した古今亭志ん生が我が心の灯火だった。落語を頻繁に聴きに出かけていた頃は志ん生はそれほどいいとは思えなかった。既に故人だったので、ナマではなくCDや動画サイトでしか聴くことができない所為もあるかもしれない、と思っていた。今は落語をナマで聴くのは年に一回程度でしかなくなってしまったが、CDや動画サイトで聴く志ん生が心に沁みるようになった。息子の金原亭馬生や古今亭志ん朝ももちろんいいのだが、やっぱり志ん生だなぁ、とつくづく思う今日この頃である。なんでだろう。

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