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月例落選 俳句編 2023年4月号

投函したのは2022年12月28日。既に角川『俳句』の定期購読を終了しているので、4月号は陶芸教室近くの本屋の棚で落選を確認してきた。

題詠は「下」。

頬緩む下仁田葱の炭火焼

昔、友人に広尾にある炭火焼の店に連れていってもらった。ただ野菜や肉や魚介を炭火で焼くだけなのだが、とても美味しくて、自分でも別の知人を連れて行ったりした。もとは西麻布にあったらしいのだが、広尾のけっこう有名な寺の門前にある一見すると普通のマンションの2階に移った。ところが、ほどなくして主人がリンパの癌とかで亡くなってしまった。店は娘さんが継いだのだが、その後はなんとなく足が遠のいてしまった。最後に出かけたのは7、8年前あたりだ。

その広尾の炭火焼だが、店の人に一通りの説明を受けて自分で焼く形式だ。特に感激したのは、ピーマンと玉葱だった。実は私は野菜が好きではない。それなのに一見したところ何でもないピーマンや玉葱が驚くほど美味かった。ここは「旨い」よりも「美味い」としたい。炭火というのは遠赤外線効果で食材の芯から火が入るらしく、そのことが美味さの一つの要因であることは間違いなかろう。先ほど「一見したところ何でもないピーマンや玉葱」と書いたが、塩水で揉んでから客に出すらしい。どのような塩をどのように使った塩水なのか、どのようなタイミングでどのように揉むのか、揉む前後の処理はどうするのか、といったところがこの店のノウハウで詳細は「企業秘密」なのだそうだ。締めがバナナだ。バナナの炭火焼がまた絶品だ。

記憶は定かでないのだが、この店で下仁田葱の炭火焼も食べたかもしれない。あるいは、感染症流行前まで毎月出かけていた近所の居酒屋で食べたのかもしれない。私は下戸なので、自ら居酒屋に行こうと思うことはないのだが、ツレがその店を気に入っていた。下戸なのに酒の味は好きで、特に日本酒に好きな銘柄がある。その居酒屋では日本酒を90ccから頼むことができるのも、私には都合が良かった。「下」で下仁田葱を、下仁田葱で炭火焼を思い浮かべた。

足下を支えきれない霜柱

霜柱は地べた全体を持ち上げているように見える。しかし、踏めば潰れる。当たり前なのだが、凄いようでいて凄くないような、凄くないようで凄いような、そんなことは身の回りの世界にたくさんある気がする。

雑詠は以下の三句。

むくむくと富士立ち上がる冬の朝

よく電車の最後尾の車両に乗る。個人的には「展望車」と呼んでいる。ジジイがずっと立っていると車掌は気持ち悪いかもしれないとは思うのだが、なるべく目があわないようにしながら、それでも流れ去る風景を眺めている。京王線で新宿へ向かうとき、仙川から千歳烏山にかけては直線で、最後尾の窓から富士山が電車の進行につれてむくむくと盛り上がるように見える。位置関係としては富士山から遠ざかっているのだが、なぜか大きくなる。富士山がはっきりと見えるのは冬場が中心だが、毎回、飽きもせず富士山を眺めながら電車に乗っている。

明日がある思い込みたい師走かな

以前にも書いたが、昨年12月24日に母が交通事故に遭った。銭湯に出かけた帰りらしかった。銭湯では毎回顔を合わせる人たちがいるらしく、それはそれで母にとっては社交の場でもあるようだ。その日も何人かの人と「じゃまた明日ね」なんて言いながら別れたのかもしれない。しかし、その「明日」があるとは限らない。

事故に遭ったときに乗っていた自転車は自転車屋で修理をして乗ることができる状態にしてあるが、母にはもう乗らないようにと言ってある。今月に入って、母はバスを利用してその銭湯に通い始めた。たぶん、そこで出会う仲間の人たちに「じゃ明日ね」と言って帰ってくるのだろう。

寒雀文句あるかと威嚇鳴き

雀に限らず、カラスや鳩など留鳥は四季を通じて身の回りにいる。彼等も暑さや寒さを感じているのだろうが、見たところ季節に関係なく飛び回っている。そういえば、先日、燕を見かけた。鶯も鳴いている。春と夏はほぼ同時にやってくるらしい。尤も、俳句の季語としては、どちらも春だ。

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