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0から100への道

0:100思考とは何か。

物事を0が100か二分的に捉えていく考え方である。

最近「自分は結果が残せていない。」
無意識のうちにこう思っていることがあった。
最近、キャリアコンサルタントとの面談で
他人に対しては少しの成果でも「すごい!」って心から思えるのに、自分のことはそう見ることができていないことに気づいた。
自身の目標が明確化されているのは良いことかもしれないが、その目標に達成できないと、「またできなかった」「まだまだだ」と思ってしまうのだ。

きっと1日、1週間、1か月単位で見たら目標が高く遠くて、そう思ってしまうんだと思う。
しかし1年前の自分を考えてみると、圧倒的に成長していることにも気づいたのである。

1年前の自分はというと、まだ職業訓練の通学を決定したばかり。やりたい方向性も決まっておらず、とても社会復帰が可能な状態とは言えなかった。
まだ薬も飲んでたし、病気の治療もしていた。
「その日を生きること」自体に必死の状態であった。

今の現状はというと
職業訓練で週5回の通学で体力を安定させながら
信じてみたい道を見つける。
ペンダコが膨れ上がるくらいまで勉強して、WEB制作のスキルを習得し、就職活動をしている。
通院も終了し、いつ就職しても良い状態。

...

めっちゃ成長してるやん。

自分の望む就職が叶っていないと言う「事実のみ」にフォーカスしていたけど、ちゃんとその目標に進むための階段は着実に上がっていたんだな、ということに気づいたのである。

あと、自分の若さをもっと活かしていきたくなったこの頃。

周りの大人には「まだ22歳だったの?!」と驚かれることが多かった。「そんな老けてるんか、私…」と思ったが、どうやらそういうことでは無いらしい。話す内容や物事の受け取り方からそう見て頂けたみたいだった。

だけどそれが裏目に出て、「若さ」を武器にできていないことにも気づいた。

周りを見て気付いたが、本来の22歳なら新卒の代が多いのもあって、若さを最大限活かしてるのだ。
私は私のことを低く見積すぎだったかもしれない。

そろそろ、自分の価値を認めてあげたいなあ、と思う。

1日で成果が出なくても、昨日の自分より1mmでも成長したらそれで100点ではないか。
人にはそれができるのに自分にはできないなんて、真面目すぎるっていうか、完璧主義すぎるのだろう。

もっと楽に生きれたら良いな〜。とも思うけど、自分は自分なりに経験を積んできたからこその自分だ。
そんな自分も許して認めてあげて、少しずつ、少しずつ、前を向けたらそれでいっか。とも思う。

「チャンスってものは平等だからね。たまたま貴方は若い時に運が悪いのが全振りしただけで、確実に成長しているし、若いのに性格も素敵だし。この先の未来は明るいよ、きっと大丈夫。」

って言ってくれたキャリコンの言葉に救われた1日であった。もしかしたら綺麗事かもしれないけど、それで良い。その言葉を心に留めて、自分の可能性を信じてみたいと思った。


くまみ

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