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あなたの世界はどこから?ワタシは移動から。

初めて世界地図を見たときの気持ちを覚えているだろうか?

きっと物心がしっかりとある小学生の頃だろう。思い出に色がつき始めたのは小学校3年生の頃か。それ以前の記憶はなんか人ごとのような、そんな事が自分の身にあったような?

まぁ、とにかく自我が目覚める前後ぐらいの時に家にあった地球儀と、壁に飾ってあった世界地図が私の中の日本以外の世界との初対面だった。

ちょうどその時に父が海外に出張していたので、父が働いている国を母から教わった気がする。その頃は遠いという概念も粗々だったので、ふーんという感じ。

それが大人になると距離という概念精度も上がって行き、場所を聞くたびに距離の遠さメモリーが段階的に評価される。

レベル1  ベッドから玄関(5〜15m)
レベル2 家と最寄り駅 (1〜2km)
レベル3 横浜→東京(30〜50km 場所により)
レベル4 横浜→高知(公共機関で6時間ぐらい)
レベル5 横浜→タイ(飛行機で5時間ぐらい)

上記を見て欲しい。
レベル4と5は時間はタイの方がもしかしたら時間がかからないにもかかわらず、海外だからという心理的なハードルで距離を感じる。

今日言いたいのは「心理的距離から見る世界」を話したいのだ。

結論から伝えると「個人の世界は狭い」って事。

テクノロジーがどんどん発展していった事で世界との距離は縮まってきていると言われているが、そんな事は全くない。むしろどんどん距離が遠くなっている。いや、正確には遠くて近いというアンビバレントな状態。

例えばファッションだ。
昔だったら毎月出る雑誌から情報を仕入れて、流行ファッションを取り入れて着こなす。時代の流れのターンが毎月であり、1ヶ月は試す時間がある。今は毎秒(見るたびに)新しい情報が更新され、流行風なものが瞬間瞬間で変化していく。試そうと思った時点で、古いものになる。

必要なのは興味関心の軸を外ではなく内(自分自身)に置くこと。そうすることで、周りの流行は流行ではなく、常に変化するウィンドウクローゼットとなる。そこで気に入ったものを購入(所有 or 共有)すればいい。

インスタグラムでわざわざ他の国に行かなくても世界の「近さ」と、その近さが人々をわざわざ他の国に行かなくさせる「遠さ」でもある。

遠くて近い、その中間が今の自分自身でありあなたの世界。

何が言いたいかというと、自分の外側にあるものは世界であって世界でなく、世界は自分の中にあるという事。まぁ、めっちゃ当たり前の事を言ったんだけど、ほんとそれなって感じなので何回も言おう。

自分の内面=世界なのだ。

そもそも「世界」ってなんだ?

実際にアフリカに行った事ないけど、TVやインターネットの情報から感じる世界。
ヨーロッパで流行っている流行ファッションをSNSで見て、日本のEコマースで購入して真似る世界。
好きな女の子に告白ができずに、その彼女に彼氏ができて勝手に凹んでいる世界。

それは世界(事実)であって、あなたの世界でなく妄想。

机上の上で妄想ばかりしてないで世界を感じたいなら行動しろ。

自分自身の頭に中にあるものが世界ではなく、行動した先にあるリアルと連動した世界が本当の世界であると信じてる。世界はリアルに紐付くことで妄想を超える事で強烈に現実感をもたらし、行動して自分の血と肉(経験)の五感が新たな創造(第六感)が生む。

それじゃあ、世界を広げることは個人の人生において良き影響を与えるのだろうか?

私はそれは大いにあり得ると思う。
成長というよりは、自分自身の思考を広げ、深め、濃くさせる。
成長という言葉があんまり好きでないので、上記のような言葉を使ってる。

自分の中に広がる無限の世界を豊かにするためにも、あくまで手段であるリアルを生きるをするのだ。

んで話を一気に「心理的距離から見る世界」に戻すと、物理的距離は内的な世界を作る事に大いに関係がある。ない的な世界を深め、広げるためにも、物理的な移動は必要だと私は思う。

とはいえ、内的な世界は無限なので物理的な移動をせずとも探求できる。物理的な移動をする事はあくまでその探求の手段でしたかない、けどメッチャ有効かと。

テクノロジーは世界を広げているのではなく狭めている。

今こそ自分の意思を持って移動しよう。きっとそのメンドクサイ移動の先に、あなたががいるのだから。

とりあえず近所の銭湯に行ってくるわ。チャオ。

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