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自称コミュ障の克服

こんにちは。

今日も相変わらずの雨模様の長野です。

私はもともと雨女と言いますか、雨は嫌いではないというか好きな方なので今年の長雨はそれほど苦ではないのですが、それでも部屋の湿気などがすごくてやっぱりお日様が恋しくなりますね〜。

と言うことでトップ画像には、何年か前いつの日か訪れたヒマワリ畑のヒマワリを載せてみました。

今年みたいに長雨など天候によって仕事が左右されることもあると思うのですが、私もその一人かもしれません。

私の場合、職場では自分の担当部門というものがあって、私は特に自分が希望したわけではないのだけど最初から園芸部門に配属されていました。

ホームセンターの仕事はだいたいが室内の仕事になるのですが、私は園芸部門なので今のこの時期は主に外仕事をしています。

暑くても寒くても晴れていても雨でも強風でも、基本的に外で作業をしています。

具体的な仕事内容は、植木や花の水やりやメンテナンス、そして外に設置されているレジでの会計作業ですかね。

今は自然の雨が降ってくれているので水やりをする必要がなく、その点ではとても楽で助かっているけれど、雨が多過ぎたらそれはそれで植物が腐りやすくなってしまい大変。

逆に晴れてカンカン照りだったらその時は朝イチから植物たちに水をあげないといけません。

規模も大きく、たくさんの数の植物全てに水をあげないとすぐにしおれてしまうので、これが結構忙しくて大変だったりもします。

もともと背丈が低く(身長150cm)で、特別体力があるわけでもない根っからの文系の文化系な私には、正直体力仕事はキツイのひとことです。

今は一番の繁忙期は過ぎたので落ち着いていますが、一般の方も専業農家さんも一同に花や野菜を植え始める4月〜5月あたりは今とは比べものにならないくらいの物量と来客数なので、ほとんど手が回らなくなっていました。

そんな時、何度私の思考がフリーズしたことか・・

目の前のことが混沌とし過ぎると、人は軽くパニック状態になり思考が停止するのだな、とその時分かりました。

そして私だけでは対応できないところは同じ部門担当のスタッフと協力してやるのですが、そもそもが人手不足なので仕事が追いつきません。

そうなってくると、部門担当だけでは対応しきれないので、直属の上司(部門リーダー)やその上の上司(店長)に助けを求めます。

これでは仕事が回りません!と。

もちろん上司は上司で受け持っている責任のある仕事がありますから、それはそれで忙しいのは承知の上です。

ですが、下で働いている立場の一スタッフがちゃんと現状を報告して、それに必要なサポートが必要ならばしっかりと伝え声に出すことがとっても大切だと私は実感していました。

そうでなければ、莫大な仕事量とタスクを抱え込むことになって苦しくなるのは結局自分なのですから。

平社員の仕事は、自分に任されていることを一生懸命やりつつ、これ以上は出来そうもないとか今はここまではできていますとか、早急に対応が必要なのはこういうことですということを具体的に上に伝えること。よく言われる報告と相談というやつですかね。

そうやって、上に伝えることで責任を手渡すというか・・より大きな責任を担える立場の人に託すという感じでしょうか。

実はこれは、私はもともと全くもって上の人に報告相談をすることができない人間の一人でした。

コミュ障レベルと言っていいくらい。

自分が思っていること、感じていること、頭の中でぐるぐるしていること、こうしたらいいのに、もっとこうしてくれたら助かるのに、ということがあっても、まずそれを言葉にすることがとても難しかった。

そしてそれを相手に伝えることはもっと難しかった。

特に組織の目上の人には・・

20代前半の若かりし頃、パティシエ時代には、自分の体調不良さえ言えなくて喉の炎症が悪化して仕事中に声が出なくなるなんてこともあったくらい。

我慢して悪化したせいで結局肺炎になりかけて1週間以上安静にしていなくてはならなくて結局店側にも迷惑かけて何より自分が本当に辛かったなと今でも思い出しますね。

今だって、すんなり相手に自分の意思を伝えられるかって言ったらそうでもなくて、自分の中でぐるぐるしてモヤモヤしたまま時間が過ぎることもあってでも結局これは言わないと!と決心してやっと伝えるってことが結構あります。

それでも全く伝えられなかった頃よりも格段に成長している気がするし、そうすることで本当は自分が一番助かっているということがよく分かってきたような気もしています。

その成長過程には、実は今年で結婚まる6年になる旦那の存在がとても大きく、心理カウンセリングを学び資格もある会社員の彼との日頃の腹を割った会話の力が強く影響してるかもなと思います。

結婚当初は私が感情的になって肝心な伝えたいことが伝えられない会話にならない、ということが多くよく旦那をヤキモキさせていました。

それでも気長に待って親身に話を聞いてくれたのがとても救いでした。

そして私が自分の意思を伝えるのを放棄しそうになって自暴自棄になっていると、よく旦那はこう言っていました。

「ちゃんと言わないと分からないよ」と。

今回のコロナがきっかけで、実際に会社のシステム自体への疑問が私の中に濃く浮き彫りになったことは確かなのですが、私の考えが全て正解というわけではないかもしれないことと、自分が属している組織が大きければ大きいほどその仕組みや体質を変えようとするのは膨大なエネルギーが必要なのだろうなとなんとなく思いました。

一個人には、変えられることと、変えられないこと、が確かにある。

私が声をあげられる範囲は、きっと直属の上司までなのだろうと思うと、それ以上のところはその上司が勇気を出して本部なり上層部に声をあげて欲しいなと正直思ったりもしましたが、なかなかそうもいかないのが今の組織の体質であり、今までそうやって下のものが踏ん張って耐えてやってきた結果なのだろうと思いました。

自分が動いて変えられることはやってみて、それ以上は自分のできる範囲ではないし変えられないと判断したら、そこに留まり続けるのはどんどん苦痛になっていくだろうから潔くさらりとそこを離れることもひとつの手かなと思います。

特に、それが雇われの身であるなら。

いろいろツラツラと思うことを書きましたが、本来の私の理想としては、社会や会社という組織の中で上のものが下のものに一方的に支指示や命令をするだけで終わるのではなく、下のものが上のものにもちゃんと声をあげられる風通しの良い環境づくりや寛容な対応があったらどんなに素敵だろうなと思います。

それは仕事のタスク面での環境もそうだし、メンタル面でのサポートも大切な時代にどんどんなっているんじゃないかなとなんとなく思ったりもしました。

そんな風に、一社員、一スタッフ・・立場がそれぞれ違ったとしてもそこで働く一人一人にとってもっと働きやすい環境、働きやすい社会にシフトしていったらいいなと希望を描いてみたりもしています。

たぶん、そうやって会社自体も中身の充実というか、そこで働く人の満足度を上げることが巡り巡って会社の利益や得に繋がるんじゃないかな・・と勝手に思っています。

進んでいる会社というか、若い世代や女性の目線などを取り入れ新しい風を吹かせようと積極的に柔軟に変化を受け入れている会社もあるようなので素敵なことだなと思います。

1つ前の記事で「私が仕事を辞める理由」でも書いた会社自体のシステムへの疑問がまさにそこの部分でした。

まぁとは言っても人様の会社経営のことなので本当は私が偉そうなことは言えないかもしれないですが、これが率直に思ったことでした。

周りの社会や人と関わる中で、自分の中に生まれる疑問や違和感ていうのが本当は自分はどう進みどう生きたいのかを知る良い手がかりになるのはありがたいことです。

私自身、まだまだ組織に属していながら自分の意思を率直に伝える力は初心者みたいなものですが、結局人は会社組織に限らず何かに属して生きていく生き物なのだろうから、それなら自分がこの人生をより快適に生き抜くためにもちゃんと声を出せる人になっていきたいと願います。

具体的には、まず最小単位のコミュニティである家庭、そして地域との交流が今のところの私の練習の場かなと思います。

人生とは終わりなき鍛錬の旅なり〜なんてね♫